小宮由(こみや・ゆう)
昭和49年東京都生まれ。小学校から大学までを熊本県で過ごし、東京の児童書出版社勤務、カナダ留学などを経て、子どもの本の翻訳家として独立。これまでに170冊以上の翻訳を手掛けている。翻訳家としての仕事のほか、平成16年より阿佐ケ谷の自宅で家庭文庫「このあの文庫」を主宰。地域の子どもたちに「父上」と親しまれ、読み聞かせを通して読書の喜びを伝え続けている。
■祖父と両親の本への思いが、自身の本作りの原点に
─小宮さんは子どもの頃から本に親しまれていたのですか?
僕は東京生まれで、小学校へ上がるときに熊本へ引っ越しました。その際、出版社に勤めていた両親が独立して、厳選した作品だけを扱う子どもの本の専門店を開業したので、幼い頃から常に本がそばにありました。とはいえ、僕自身が本の虫だったかというとそうでもなく、外で走りまわって遊んでいるようなやんちゃな子どもでした。
─本を作る仕事をしたいと考えるようになったのはなぜですか?
転機となったのは大学時代です。熊本で大学生活を送りながら、その先の進路に悩む中、改めて実家の書店の本を読み始めました。太平洋戦争時、徴兵を拒否した祖父(トルストイ翻訳家の故・北御門二郎)が戦後どんな思いでトルストイ文学の翻訳に取り組んだのか。両親がどんな思いで子どもたちに良質な本を手渡し続けているのか。本棚を端から読み進め、祖父と両親が伝えたいことの根底に流れるものは同じ、「愛」なのだと気付きました。人間とは何か、生きるとは何か。そんなことを悶々と考えているうちに、自分も「子どものための本を作りたい」と思い至ったのです。
─子どもの本を作りたいという思いから出版社に就職されたのですね。
大学卒業後に東京の児童書出版社に就職しましたが、まあ、新入社員がいきなり本を作らせてもらえることはありませんよね。営業に配属され、最初の1年は年間100日近く出張していたんじゃないかな。それでも上司や編集部に「本を作りたい」とずっと言い続けて、何年目かにようやく営業の仕事とかけ持ちしながら初めて絵本を1冊作ることが叶いました。「ハーモニカのめいじん レンティル」という作品です。
■翻訳したいと思える本に共通している二つのこと
─その後、自身が翻訳を手掛けるようになったのはなぜですか?
初めての作品を手掛けた後、英語力がもっと必要だと実感したこともあり、まず会社を辞めて1年間カナダへ留学しました。そして帰国後、出版社を2社ほど経験しましたが、僕自身「納得できる本だけを作りたい」という信念が強かったので、会社員には向いていない自覚が以前からあったんです。いろんなことを考えた結果、行き着いたのが、自分で訳して本を作るということでした。10年以上出版社で働いて、素晴らしい翻訳家さんたちの仕事に触れさせてもらいましたし、出版という仕事の一連の流れも身に付いていましたので、会社での経験は独立するときにとても支えになりました。
─翻訳する作品は小宮さん自身が選んでいるのですか?
これまで170冊ほど翻訳を手掛けましたが、そのうちの9割は自分で原作を探してきて企画から携わっています。僕が翻訳したいと気持ちが動かされる作品は、新作よりも旧作が多いので、毎月、海外から古い洋書を取り寄せています。ですが、その中でいいなと思える本は1割未満。だからこそ、いい本に出会えたときは、本当に心がときめきます!
─翻訳したいと思える本に共通しているのはどんな点ですか?
僕なりに大きく二つの基準があります。一つは、本を読んでいる子どもが主人公になりきったとき、わがこととして豊かな経験ができるかどうか。子どもは本を読みながら、自分ではない「他」の悲しみや喜びを心の中に入れていきます。自分ではない「他」をたくさん持つということは、つまり人の気持ちが分かるということ。それって社会に出て荒波にもまれて生きていく中で、一番大切なことだと思いませんか? 良い作品というのは、本を通してたくさんの「他」を経験し、自分の中に蓄積できるものなのです。そしてもう一つは、幸せを伝えられるかどうか。本を読んで多様な「幸せの形」を心に蓄えておくと、それはいざというときに生きる希望や支えになります。
─子どもにとって生きる希望や支えになる作品、素敵だなと思います。
子どもは何よりも喜びが食べものだと僕は思っています。だから嫌な気持ちになる作品、押しつけがましい作品は扱いません。喜びから入っていかないと何も伝わらない。喜びは人に伝えたくなるし、伝わっていくものだと思うのです。
─翻訳で言葉を紡いでいく際に心がけていることはありますか?
子ども向けのものだからといって何もかも易しい言葉にするのではなく、日本語の繊細さや豊かさをできるだけ伝えたいなという思いはあります。日常会話では使わない、本でしか出会えない素敵な日本語もたくさんあるので。あとは1冊の中で一つくらいは、意味は分からなくても、ぼんやりと印象に残るような言葉を入れるようにしています。
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