「廃寺(はいじ)」とは、廃止された寺院のことです。今回取り上げる「上神主廃寺」は、上神主の浅間神社のすぐ北側にあったとされます。下野薬師寺(しもつけやくしじ)跡から出土する瓦とよく似た瓦がたくさん拾えることから、奈良時代の寺院跡として町の史跡に指定されていました。
上神主廃寺は、古くから人名を刻んだ瓦が拾えることが広く知られており、全国の考古学研究者の注目する遺跡でした。平成7年、長らく謎に包まれていた廃寺跡の実態を解明する調査に着手したところ、大型の掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)跡とともにたくさんの文字瓦が出土しました。
丁度同じ頃、廃寺跡から北に200mのところで北関東自動車道の建設も進んでいました。工事に先立つ発掘調査では掘立柱建物跡などが見つかり、廃寺跡との関連性が指摘されました。さらに、道路建設予定地のすぐ南側の区画でも、コの字状に配置された掘立柱建物跡が見つかりました。
調査の結果、コの字状の建物は政務を執り行う「政庁(せいちょう)」、瓦の葺(ふ)かれた建物は税として集めた米などを収める倉庫である「正倉(しょうそう)」の中心建物と分かりました。このことから、ここは廃寺ではなく官衙(かんが)(古代の役所)であり、範囲も宇都宮市茂原(もばら)まで広がっていることから、新たに「上神主・茂原官衙遺跡」と名付けられました。
遺跡は、平成15年に国の史跡に指定され、出土した文字瓦は今年、国の重要文化財に指定される予定です。
人々が守り繋いだ遺跡、この先の未来にも残していきたいですね。
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