■南風原と「水」
私達が毎日使っている水。今年はダムの貯水率が心配されてはいますが、水道からいつでもきれいな水が出ます。さて、この「当たり前」はいつから始まったのでしょうか。
南風原に水道が普及したのは今からちょうど60年前、1964(昭和39)年のことです。それまでは雨水や井戸、クムイ(池)の水が利用されてきました。津嘉山では水道供給開始に先立ち、一般家庭向けに水道配管希望者を募りました。希望者殺到かと思いきや、意外にも手を上げる人はほとんどいなかったそうです。それまで無料だった水にわざわざお金を払うなんて、というのが理由です。60年後、水道どころかペットボトルの飲料水を買うのが当たり前になるとは、当時は想像できなかったでしょうね。
水道の普及にともない、暮らしの場だった井戸やクムイは「危険な場所」として埋め戻されたり、コンクリートで固められたりと徐々に形を変えていきました。一方で、今でも地域の年中行事で拝まれる井戸や古い伝説が残る井戸など、大切にされている場所が町内各所にあります。
水は、暮らしだけではなく産業にも大きく関わりました。純農村だった南風原では、農業をするために水が欠かせません。現在も毎年夏に各字で行われる綱曳きは、雨乞いと豊作を願って行われます。また、南風原の特産品である琉球絣も染色の工程で大量の水が必要です。新川で盛んだった豆腐づくりでも水の確保に苦労したようです。
水は恵みでもありますが、ときには人々の暮らしを脅かします。かつて宮平川は大雨の度に氾濫し、家屋の浸水、農作物への被害を及ぼしました。通学路も冠水するため、学校が休校になることもありました。そこで、今から50年前の1974(昭和49)年、宮平、兼城の住民は水害防止村民総決起大会とデモ行進を行い、水害対策の早期実現を県や政府に強く要求しました。デモには、大雨の度に学校へ通えなくなる子どもたちも参加しました。
このように、戦後、水との付き合い方は大きく変化してきました。最近は断水することも少なくなりましたが、先人達の苦労に感謝しつつ、大切に使っていきたいものです。(前城)
問合せ:南風原文化センター
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