[日野歴史探訪]
私たちの住む日野町には、52の大字があり、それぞれの地域が豊かな自然と歴史文化で彩られています。
温故知新では、町内各大字の歴史と代表的な文化財をシリーズで紹介していきます。
◆大字上野田(こうずけだ)
大字上野田は、日野地区の西端に位置し、字域の北側には出雲川(いずもがわ)が流れています。
また中心部には、東西方向に本町通りから続く道と、西部にはそれに直交する御代参街道(ごだいさんかいどう)が通じ、集落はその2つの道沿いに形成されています。
◆地名の由来
『近江日野町志(おうみひのちょうし)』巻上によると、天暦(てんりゃく)年間(947~957)に上野国多胡(こうずけのくにたご)郡(現在の群馬県高たか崎さき市)の民が移住したことに由来する説や、開墾者カウヅケなる人物の名田の遺名などの説があり由来ははっきりしません。
また、至徳(しとく)2(1385)年「足利義満御判御教書(あしかがよしみつごはんのみぎょうしょ」(『蒲生文書』)の中に「上野田保」とあり、残された史料から当地の名前を見ることができます。
◆古代からの集落跡 北代遺跡(きただいいせき)
出雲川左岸段丘上の平地である字北代には、7世紀後半から14世紀中ごろにかけての集落跡があり、これまでに建物跡や墓など多くの遺構(いこう)が発見されています。方墳(ほうふん)からは、7世紀後半の須恵器(すえき)などが出土していることから、葬(ほうむ)られた人物は渡来人(とらいじん)が想定され、硯(すずり)・フイゴの発見などから知識人や鍛治職人(かじしょくにん)の存在もうかがえます。また、多くの石器が発見されたことから、さらに縄文時代(じょうもんじだい)にまで年代が遡(さかのぼ)る可能性も秘めています。
◆夏の風物詩 火振(ひふり)祭
火振り祭は、毎年8月14日と15日の2日間にわたって行われる上野田と大字里口(さとぐち)の行事です。
日中に、「ホイノコ」と呼ばれる子どもたちが、警固用(けいごよう)のバンバラ竹や締太鼓(しめだいこ)、「魂」と書かれた提灯(ちょうちん)を持ち、行列を成して字内を回ります。
この行列は五社(ごしゃ)神社から里口の八幡神社を経て、善光寺道(ぜんこうじみち)と呼ばれる旧道を通り、最後に雲雀野(ひばりの)へと至ります。
夜になると、五社神社では神子(かみこ)を中心に儀式が執り行われます。神子は5月3日の日野祭の際に、神霊(しんれい)を宿した児であり、火振り祭においても、中心的な役割を担います。
祭りに集まった上野田・里口の人々は、松明(たいまつ)に火を灯(とも)すと、行列となって、雲雀野へ向かって出発します。
雲雀野へ到着すると、「松明をあげよ」の声を合図に、松の木へ向かって松明を次々に投げ上げます。投げ上げられた松明が、たくさん枝にかかると、その年は豊作になると言われています。日野の夏の風物詩である火振り祭は、今年も見る者を魅了します。
問い合わせ先:近江日野商人ふるさと館「旧山中正吉邸」
【電話】0748-52-0008
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