栗東市蜂屋一帯には、「ムネ寺」「ボンシャク寺」「仏法寺」「タイコウ寺」などの地名がのこされ、寺院に関する遺跡があると考えられてきました。
平成29年から、蜂屋地先の宇和宮神社北側一帯で、滋賀県教育委員会を主体とし、公益財団法人滋賀県文化財保護協会により発掘調査が実施されました。調査では掘立柱建物や南北方向の四条の溝が発見され、大量の古代瓦が発見されました。
出土した瓦はすべて古代のもので、丸瓦と平瓦を組み合わせて屋根をふくものです。建物の基壇などは明らかでないため、どのような建物配置であったのか解明されていませんが、軒先を飾った蓮の花や唐草などの模様をつけた軒瓦や、屋根の先端を飾った鴟尾(しび)の破片も出土しており壮麗な伽藍(がらん)があったことが想像されます。
軒丸瓦(のきまるがわら)の大半が法隆寺式軒丸瓦で、法隆寺の創建時に葺かれた瓦と共通の文様を持つものです。注目されるのが法隆寺若草伽藍(現在の法隆寺の前身)や中宮寺(飛鳥時代創建の聖徳太子ゆかりの尼寺)で出土する忍冬唐草文軒丸瓦(にんとうからくさもんのきまるがわら)です。文様の配置や傷の特徴から法隆寺・中宮寺の瓦と同じ笵(はん)(瓦の型)を用いたものであることがわかり、蜂屋遺跡の寺院を造営した氏族と法隆寺・中宮寺との深いつながりが明らかになってきました。
ところで蜂屋遺跡が所在する一帯は古代において、栗太郡物部郷にあたると考えられています。『法隆寺伽藍縁起并流記資材帳(ほうりゅうじがらんえんぎならびにるきしざいちょう)』(天平一九年・七四七)にはこの物部郷に法隆寺の領地があったことが記載されています。
物部郷は、もともと物部氏の領地でしたが、587年に物部守屋(もののべのもりや)が蘇我馬子(そがのうまこ)と仏教礼拝をめぐる争いで敗れると、領地の一部が蘇我氏と上宮王家(じょうぐうおうけ)(聖徳太子の一族)の領地になり、それが法隆寺に献上されたものと考えられています。
蜂屋遺跡の発掘調査では、聖徳太子が建立した法隆寺と蜂屋地域の深い関わりが、明らかにされたものと言えます。
この発掘調査の成果については県文化財保護協会で現在整理作業が進められています。
■出土文化財センター秋の公開『栗東市出土文化財センター秋の公開~馬・うま・ウマの考古資料~』
栗東市出土文化財センター(下戸山47)では期間限定の展示公開を行います。この期間は予約なしで展示を見ることができます。馬の飼育に関連する製塩土器(蜂屋遺跡、手原遺跡他)や、まじないにつかわれた土馬などを展示します。(入館無料)
期間:11月7日(火)~12日(日)9:30~17:00
■関連展示 安土城考古博物館秋季特別展『馬でひも解く近江の歴史』
期間:開催中~11月19日(月曜日休館)
場所:滋賀県立安土城考古博物館
土馬(下鈎東遺跡)、馬具(新開古墳、和田古墳群ほか)などが展示されます。
問合せ:スポーツ・文化振興課
【電話】551-0131【FAX】551-0149
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