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写真でたどる ふるさと再発見 No.55

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滋賀県甲良町

【勝楽寺】
今回は、県立公文書館に保管されている「古社寺調査に付き取調書」から勝楽寺の歴史をたどってみることにします。「取調書」には、次のように書かれています。
「慶雲山勝楽寺は、臨済宗の建仁寺派勝楽寺と称し本尊は観世音菩薩(伝運慶作)。建武元年(1334)に領主であった佐々木佐渡判官高氏入道々誉が京都東福寺の雲海和尚を招いて創立。(注(1))
元亀年中において織田信長の兵火に遭い本堂は消失したが本尊、表門等は免れ再び堂宇を建てる」
左図は、安土考古博物館所蔵の勝楽寺の絵図です。安土桃山時代の作なので、焼失後再建された堂宇を描いたものと思われます。
左下の溜池が西蓮溜で現在も残る四脚門(町指定文化財・室町時代)が描かれています。門を入ると花頭窓のある大日堂、その右側に大日池、左側には本堂、庫裏があり、寺所有の田畑も描かれています。大日堂より一段高い位置にはチンジュと書かれており、当時ここに若一神社が建っていたことが現されています。
今、勝楽寺境内には四脚門、大日堂、宝物庫、鐘堂、本堂、庫裏がありますが、絵図は現在の建物の配置とは異なっていることが分かります。
その後、江戸寛永年度井伊直孝が建仁寺の前住九岩和尚を勝楽寺に招請、正保年度には井伊直孝によって本堂及び大日堂を再建、天保3年義堂和尚が現在の堂宇に改築し明治維新を迎えたことが報告されています。左の写真は、その姿を伝える萱葺きの勝楽寺本堂です。(昭和35年撮影)
宝物庫には、恵心僧都の作と言われる道誉の念持仏(寄木造りで彫眼)の大日如来坐像(国重要文化財・平安時代)が安置されています。

▽佐々木京極道誉(高氏)
道誉(1306~73)は、足利尊氏と共に室町幕府樹立に力を尽くし、上総、近江、出雲、飛騨、若狭等の守護を兼ね幕府の要職を勤めた。
建武4年(1337)坂田郡の京極家本拠柏原から京極家所領で京都に距離的に一番近い適地、甲良ノ庄勝楽寺に移り住む。自由奔放に振る舞い「バサラ大名」と呼ばれたが、室町時代に著わされた太平記には、道誉は第一等の武人であったことや茶の湯、能楽、立花、香道等の元祖と言える教養文化人であったことが記されている。
注(1)甲良町史、森茂暁「佐々木導誉」等では暦応4年(1341)創立とある。
参考資料:甲良町史 町教委発行「佐々木道誉」安土城考古博物館 滋賀県公文書館

問合先:ふるさとプロジェクト(図書館)
【電話】38-8088【FAX】38-8089

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