誰もが人間として生きていくうえで侵すことのできない当然の権利これが『人権』です
■ハンセン病家族の想い
〜問われているのは誰ですか〜
7月23日、「人権を考える町民の集い」において、「黄 光男(ファン グァンナム)さんをお招きしてお話を聞きました。その講演内容を掲載します。
こんにちは。名前は黄光男(ファン・グァンナム)といいます。
私が一歳の時、母親と姉がハンセン病と診断され、長島愛生園に入りました。同じ日に私は、岡山市内の養護施設に預けられ、家族と離れ離れになりました。当時の「らい予防法」では、ハンセン病と診断された患者は全員、療養所に隔離されます。
幼少期を養護施設で過ごし、9歳の時に、一家5人の暮らしが再び始まりましたが、私は1歳から9歳までの8年間家族と一緒に生活していませんから、母親を見ても誰だかわからなかったんです。なんでこの人たちと生活しなければならないのとの思いでした。
生活するようになり、母親に、「何の病気」と尋ねました。母親は、声を潜めて「らい病」と言いました。「らい病」というのがどんな病気か、当時少年だった私にはわからなかったんですが、その素振りから、この病気は誰にも言ってはだめ、ということを心に強く思わされました。
1953年に「らい予防法」は改正されます。プロミンの薬により治る病気となり、入所者たちは、治るという希望と、人間らしく生きたいという願いから、よりよい治療と生活をもとめて法律の改正をもとめ、予防法廃止を要請しましたが、法律は残り強制隔離は継続されました。この年は、私が生まれる3年前です。この時に廃止されていれば、私の家族は療養所に入らなくて済んだのです。私の家族のように沢山の家族が分断させられました。その背景には「無らい県運動」が全国的に展開され、それに加担させられた一般市民や県、町職員が一体となって、ハンセン病患者を社会から追いやったのです。
2019年ハンセン病家族訴訟の判決文の中には「周囲のほぼ全員によるハンセン病患者及びその家族に対する偏見差別が出現する一種の社会構造が築き上げられた。社会構造に基づき大多数の国民らがハンセン病患者家族であるという理由で忌避感や排除意識を有し、患者家族に対する差別を行い、これにより深刻な差別被害を受けた。」とあります。
「社会構造」とは、自分は「差別はおかしい」と思っていても、世間はそうではないので、空気をよんで世間に同調してしまう。そんな心理、行動だと思います。
力を持った者の言うことを鵜呑みにせずに、おかしいことはおかしいという声を上げる勇気を持つということです。
これは、ハンセン病患者の問題だけに限った話ではありません。差別されている状況を見たときに、自分は差別していないからと放置するのではなく、目の前にある差別にそれはおかしいと一歩踏み込まないと社会構造は切り崩せないと思います。
今、私の孫は1歳です。ハンセン病だった母親のひ孫になります。この子が大人になり、「私のひいばあちゃんはハンセン病でした」と言った時、差別を受けることのない社会を皆さんとともに力を合わせてつくっていきたいと思います。
参加者の感想から抜粋
・「力を持った者の言うことを鵜呑みにせず、「おかしいことはおかしい」と声をあげる勇気を持つ」という言葉が心に残った。相手がだれであろうと「おかしいことをおかしい」と言っていかないと変わっていかない。
・こんなひどい差別、本当に許せない!この国はなんてことをしてきたんだ!と思いました。今日は黄さんから沢山の悲しい、悔しい事実を聞き、今後ハンセン病に対する差別に出会ったら、絶対絶対「それはおかしい考えよ!」とはね返したり、事実を話していきたいです。
・黄さんの歌声、あたたかで、やさしくて最高です。
・お話を聞いて、歌に込められた思いがとても伝わってきました。社会の意識を変えるためにも、まず、自分の意識を変えなければならないと思った。
・「問われているのはだれですか」という言葉が重く響いた。ハンセン病による人権侵害は自分の中ではどこか遠く、ニュース報道も他人事のように見ていた記憶があります。そんな無関心さが差別をここまで長引かせる要因にもなったのだと思います。事実を自分事として受け止め、自分自身がどうあるべきか、しっかり考えていきたいと思います。
自分の人権を守り他人の人権を守る責任ある行動を
<この記事についてアンケートにご協力ください。>