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湯前歴史散歩 城泉寺(浄心寺)保存の歩み(6)

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熊本県湯前町

鎌倉時代に建立され、県内最古の木造建築物として知られる城泉寺(浄心寺)。今回は昭和33年以降の修理の歴史をたどります。

■解体復元修理
昭和33年から始まった阿弥陀堂の修理は、建物をすべて解体し、組み立て直す根本修理といわれるものでした。単に修理するというだけでなく、後世に改変された部分を部材の痕跡(こんせき)などから当初の姿に戻す復元修理でした。
昭和34年8月31日、総工費842万円あまりをかけて解体復元修理が完了し、立派なお堂の姿によみがえりました。
阿弥陀堂は茅葺(かやぶき)屋根なので、定期的に葺替(ふきかえ)が必要となります。復元修理以降、昭和56年度、昭和62年度、平成7年度、平成21年度に屋根の葺替を行っています。最後の葺替から14年が経過し、屋根の痛みが目立つようになり、葺替が必要な時期が来ています。

■七重石塔の修理
昭和59年から60年にかけて、七重石塔の保存修理事業が行われました。当時は七重のうち四重しか残っていませんでした。周辺に残存していた部材や補足材を加えて七重に復元修理されました。

■十三重石塔の復元
さらに平成4年には、地元有志によって十三重石塔が復元されました。十三重石塔は大正3年には八代市に住む人の持ち物となっていました。返還交渉をしたものの実現せず、レプリカが建てられました。レプリカとはいうものの、細部まで再現されていて、七重石塔・九重石塔とともに境内に並び立つ景色は壮観です。

■修理事業で復元された部分
・後世に追加されていた向拝(こうはい)※1を撤去
・近世に縮められていた軒(のき)を二軒(ふたのき)に復元
・縁側を復元
・正面の階段を木口階段に復元
・正面と背面の扉を桟唐戸(さんからど)※2に復元など
※1 屋根の中央が前方に張り出した部分
※2 細長い枠に鏡板などをはめた扉

■私事ですが…
私の伯父は久米(多良木町)の出身で中学校を卒業後、大工の見習いとなったのですが、見習い時代に城泉寺の修理工事に参加したそうです。当時、二本柿の福屋さん宅に寝泊まりし、縁側に使う板の鉋(かんな)がけを担当したということです。教育課に残る当時の工事関係の書類を調べてみたところ、職人の出勤簿に伯父の名前がありました。伯父の話を聞いて、城泉寺への愛着が増しました。

教育課学芸員 松村祥志(しょうじ)

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