私たちが普段何気なく使っている道路や橋、トンネル。
これらは私たちの生活を支え、快適さをもたらしてくれます。
しかし、あまりに身近な存在であるため、その裏側にいる人たちのことを忘れてしまいそうになります。
11月18日は土木の日。
土木について、そして土木を支える人について考えてみませんか。
■土木がつなぐ過去と現代
阿蘇に残る石畳は参勤交代の足跡を伝える歴史の道。今でも地域の人々が守り続けています。
阿蘇市の最も西に位置する車帰地区。北側復旧道路のインターチェンジもある阿蘇の玄関とも言える場所に二重峠の石畳はあります。車帰地区と二重峠を結ぶこの石畳は、熊本と大分間の豊後街道の一部として江戸時代に整備され、参勤交代にも用いられました。水害や地震にも耐え、現代にその歴史を伝えています。
◆道を支える住民たち
二重峠の頂上から120メートル程下ると「岩坂村つくり」と刻まれた敷石があります。他に地名の残る石は見つかっていません。なぜこの文字が刻まれたのかは不明ですが、この区間では岩坂村(現在の大津町)の住民の何らかの負担により石畳が整備されていたことがうかがえます。
現代の石畳は、車帰地区の住民が管理しています。10月上旬には、地区の7人で除草作業が行われました。区長の中村勲(いさお)さんは「高齢化もあり大変な作業ですが、どこにでもあるわけではない貴重な財産を次の世代に残していくためにも続けていきたい」と話しました。
◆変わらない思い
地元で建設会社を経営する島村公章(ひろたか)さんは「建設機械もなかった何百年も昔に、人力で石を割ったり運んだりしてあれだけのものを作ったことはすごい」と話しました。さらに、現代では機械化や技術革新が進んでいるとしたうえで、「根底にある人々の安全を守るという思いは、今も昔も変わりません」と強調しました。
長きに渡り旅人の安全を守ってきた石畳。土木技術が進化しても、その基本的な思いや価値観は変わりません。過去と現代、両方の時代をつなぐ石畳は、その象徴とも言えるでしょう。
◆阿蘇に残る土木の歴史1
天神橋(めがねばし)
一の宮町坂梨の平保木川にかかる石橋。市指定有形文化財(建造物)。約100個の石がみごとなアーチをえがいている。
○ここがすごい
造ったのはあの石工集団
橋のたもとに「棟梁石工卯助」と刻まれているとおり、建造したのは卯助。通潤橋を建造した丈八の兄。
卯助は最後の一石を頂点にはめるとき、その真下に正座していたと伝えられている。
◆阿蘇に残る土木の歴史2
二重峠の石畳
二重峠の頂上から麓の坂の下集落までの約1.6キロメートルにわたり幅約3メートルの石畳が敷き詰められている。国指定史跡。
○ここがすごい
みごとな土木技術
石畳の要所には雨季などの山水による敷石の流出を防ぐために石畳を横切る排水溝「水切り」を造り、流れてきた山水を流すようになっている。側溝も設けられ、水切りからこの側溝に流れるようになっている。豊後街道の石畳でも珍しい施設。
■土木がつくる便利な暮らし
土木は生活を便利にしてくれるもの。工事中の滝室坂トンネル(仮称)について紹介します。
つづら折りが続く滝室坂の頂上。この東側にある集落に住む中学生は滝室坂の峠道を通るたびに「早くトンネルができないかな」と考えていました。曲がりくねった坂道で車酔いすることも少なくなかったからです。
◆最新技術でトンネルを
そんな思いを現実にするのが、波野大字小地野と一の宮町坂梨を結ぶ滝室坂道路です。そのうちの約4・8キロメートルのトンネルがことし6月に貫通しました。今後、開通に向けて道路の舗装や設備の工事が進められます。
滝室坂トンネル(仮称)は阿蘇の外輪山を貫くトンネルです。外輪山は、約45万年前の先阿蘇火山岩類の上に、過去4回の噴火で発生した火砕流堆積物や火山灰で形成されており、硬い層や柔らかい層が交互に重なるなど非常に複雑な地質です。「形成された年代で地質は異なり、地質に応じた施工が求められました。トンネル全線で綿密なボーリング調査を行い、地質を予測・把握しながら慎重に掘削を進めました」。熊本57号滝室坂トンネル東新設工事作業所長の田端大人さんは工事について振り返りました。
◆トンネルへの思い
トンネルの開通で事故や災害による通行止めの発生リスクが低減されることが期待されます。「地元の皆さまの期待は大きいと感じます。最後まで全力を尽くしていきたいです」と話す田端さん。土木技術と技術者の思いが私たちの生活を便利にしています。
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