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特集 みんなの楼門(1)

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熊本県阿蘇市

■みんなの楼門(1)
楼門のある日常が戻ってきた
令和5年12月7日、ついに迎えた竣功祭。7年にも及んだ復旧工事の完了を祝い、約260人の工事関係者や地域の人々が式典に参列しました。待ちに待ったシンボルの完成。正月には多くの人が初詣に訪れ、楼門をくぐり新年の誓いを新たにしました。

新年を前にした12月4日の朝。拝殿の前に「一の宮町大注連縄(おおしめなわ)伝承会」の会員が集まっていました。この日は、会員らが制作を続けてきた大しめ縄を奉納する日でした。1番大きい大しめ縄は長さ約7メートル、重さ約150キロ、太さ約1・7メートル。約30分かけて楼門の梁に吊り下げました。「楼門での作業は8年ぶりで難しかった。稲わらが青々として最高のものができた思う」と話す会長の古澤義則さん。着々と迎春の準備が進められていました。
そして迎えた1月1日。小雨が降る中、テレビ中継のためにいつもより一層明るく照らされた楼門の前には多くの人が列を作っていました。日付が変わり楼門の扉が開けられると、ゆっくりと拝殿に向かって人が流れていきました。参拝を終え、楼門と共に写真を撮影する人たちも。8年ぶりに楼門と迎えた新年。境内は新年への希望と笑顔であふれていました。

■みんなの楼門(2)
復旧工事が残したもの
楼門の復旧工事には多くの困難が伴いました。
難工事に挑んだ技術者や職人たちの思いを紹介します。

「再利用できる部材はできるだけ使いたいと思いました」。工事の設計や監理を担った文化財建造物保存技術協会の大川畑博文さんはこう復旧工事を振り返りました。一方で、同協会の技術職員谷口征雅さんは「再利用をするとそれぞれの部材の補修箇所が膨大になり、手間がかかります。新たな木材と取り替えた方が早い場合もあります」と話します。それでも再利用にこだわったのは、170年以上も地域に愛され、大事にされてきた地域のシンボルとしての価値を極力損ねないためでした。
破損した柱も、軽くて丈夫という特徴を持つ特殊な繊維「アラミド繊維」を加工した「アラミドロッド」を用いて新しい柱と接合することで再利用しました。木造の文化財建造物修理で初めて使われた技術です。

○熊本地震にも耐える楼門を
元の部材を用いて元の姿に戻す一方で、耐震補強も施されることになりました。これは、楼門を単純に組み立て直すだけではなく、参拝者を迎え入れる門としての機能を備えた状態で復旧することになったからです。参拝者の安全を確保するため、熊本地震と同規模の揺れにも耐える耐震性が求められました。
補強は4本の鋼管柱と摩擦ダンパーや鋼材の組み合わせで内側から大きな楼門を支える仕組みです。組立工事ではこれらの補強材と木材が接触しないようお互いを縫うように工事が進められました。
楼門は難工事を経てその見た目だけでなく、本来の機能も取り戻しました。黒く光る鋼管柱と歴史を重ねてきた木製の柱。その間を通り抜けて拝殿に向かう参拝者の姿を大川畑さんと谷口さんは誇らしげに見つめました。

○阿蘇の職人も大活躍
復旧工事は地元の職人にも支えられながら進められました。完成間際の12月4日午後、ほぼ全ての工事が終わり、式典を待つばかりの楼門に2人の職人がやってきました。最後の作業である、かんぬきの取り付けのためです。2人は大工の下村和男さんと建具職人の軸丸鉄男さん。阿蘇神社楼門の復旧工事に携わった阿蘇市在住の職人です。2人は黙々と作業を進め、3時間程で作業は終了。軸丸さんは「2人でずっと一緒にやってきた。最後も2人で終えられたのはよかった」と話しました。
「車の中に避難している時に見たテレビで楼門の倒壊を知りました」。下村さんは熊本地震の発生直後を振り返りました。夜が明け、家族の反対を押し切って神社へ向かった下村さんの目に飛び込んできたのは楼門の悲惨な姿でした。「涙が止まりませんでした」
悲しい気持ちと同時に「この楼門の復旧には絶対に携わりたい」という気持ちが湧いてきました。復旧工事が始まると何度も現場に出向き、大川畑さんに直談判をしました。熱意が認められた下村さんは、平成28年から復旧工事に参加。近所の温泉で顔なじみだった軸丸さんに加え、別の職人2人も翌年から工事に携わるようになりました。
2人が担当したのは部材の補修作業。倒壊した楼門の解体後、取り出された1万点以上の部材のうち、折れたり傷ついたりした部材を丁寧に修理しました。職人として長い経験を持つ2人でも初めての作業ばかりだったと言います。「毎日が緊張の連続でした」と下村さん。彫刻などの細かい部分を担当した軸丸さんは「彫刻なんかしたことなかった」と振り返りました。それでも、現場の棟梁を務めた福井県の宮大工・与那原幸信さんは2人の技術を高く評価していました。「安心して仕事を任せられた。熱心に仕事に取り組んでいて、いい刺激を受けた」。与那原さんは、阿蘇の次世代にも経験を伝えてほしいと期待を込めました。「子や孫にどんなことをしてきたかを伝えていってほしい」

○復旧工事が残したもの
これまで繋がれてきた歴史への敬意と最新の技術、そして地元の職人たちの思い。これらが融合することで、楼門はその魂を変わらぬ形で次世代に引き継ぐことができました。復旧工事は、単なる建物の修復を超えた、地域の誇りを守る行為であったと言えるでしょう。復活を遂げた楼門が市民に残したのは、深い感動と未来への希望でした。

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