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まちかど a street corner(242)

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石川県津幡町

■「好奇心」が開いた充実の世界
45年間のサラリーマン生活を終え、これから自由でおもしろそうなことにチャレンジしたいと、たまたま知った石川県が主催する生涯学習の〝城と庭の探求講座「金沢城大学」”を受講した。
県立美術館で県金沢城・兼六園管理事務所と県金沢城調査研究所が共催した加賀藩・城・兼六園の深掘りした講義は、初めてのことばかりで一挙に魅了された。規定の講座に出席し平成25年度の修了証書の交付を受け、直ちにボランティア団体「金沢城・兼六園研究会」に入会した。平成3年の発足時は「兼六園研究会」、後に金沢城の復元に合わせて現在の名称になった。文化財の学習・普及の事業を行い、地域・生活文化の振興に貢献し後世に継承することが目的の学び、伝えそして交流の3つで成り立っている。会員数は約百十数名で研修、グループ活動のほか、平成18(2006)年から毎年、北は会津若松から南は熊本までの全国に10か所ある大名(幕府将軍家及び1万石以上の所領を将軍家から与えられている藩主)庭園を各地持ち回りの民間交流協議会(サミット)は、今年は滋賀県の玄宮園が開催予定で隣接する彦根城と併せて参加できることが最大の楽しみだ。
入会して10年目、平成28(2016)年から5年間広報を担当、同会の創立30周年記念誌、研究発表文集そして会報発行の編集を担当したことでより深く歴史の「ひだ」に触れられた喜びも大きいが、何よりも健康に恵まれたこと、「新友」が増え、語り合い、繫がりができたことも大切な財産だ。

▽兼六園
延宝4(1676)年、加賀藩5代藩主の前田綱紀が作事所を再び城内へ戻して自己の別荘を建て、その周りを庭園化したのが作庭の始期だと言われ、文久3(1863)年、13代藩主の斉泰でほぼ現在の庭の形になった。明治7(1874)年に市民に開放、大正11(1922)年、国の名勝、昭和60(1985)年、特別名勝に格上げ、令和6(2024)年に開園150周年を迎えた。
面積は約11・4ヘクタールで東京ドームの約2・5倍の大きさがある。

▽金田信市(かねだしんいち)
津幡町横浜在住。平成25年より津幡地区民生児童委員。同26年に「金沢城・兼六園研究会」の会員。同27年から町内の小学校などで紙芝居「禁酒物語」を上演する「禁酒の学校を語り継ぐ会」、令和4年4月「つばたふるさと探偵団」のメンバーにも。
大の映画ファンで、毎年約50本を映画館で鑑賞する。

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