■今月のイッピン!「若杉窯(わかすぎがま)呉須赤絵花卉文六角瓢徳利(ごすあかえかきもんろっかくひさごとっくり)」
再興九谷焼は文化4年(1807)に金沢卯辰山(うたつやま)に加賀藩が春日山窯(かすがやまがま)を開き、京焼(きょうやき)の青木木米(もくべい)を招聘(しょうへい)して始まりました。木米は足掛け2年で帰京しますが、京焼時代に得意とした中国磁器写しを金沢でも制作しました。中でも文人(ぶんじん)たちに人気があったのが、呉須赤絵でした。木米は門人の本多貞吉(さだきち)を金沢に残し帰京しました。金沢近辺に磁器に適した陶石がなかったため、貞吉が踏査(とうさ)した結果、小松若杉に程近い花坂山(はなさかやま)に良質の陶石を発見しました。若杉村の十村(とむら)・林八兵衛(はちべえ)の協力があって、彼の管理する瓦窯(かわらがま)で磁器焼成に成功します。若い陶工らも貞吉のもとに集まり、制作活動が盛んになっていきました。文化13年(1816)に加賀藩郡奉行(こおりぶぎょう)直轄となり、天保7年(1836)に火災が原因で小松八幡(やわた)に移窯(いよう)しますが、「若杉陶器所」として明治8年(1875)まで続きました。藩直轄後は、量産に向いた染付(そめつけ)を多く生産しました。
この作品は京焼木米の影響が感じられ、おそらく門人貞吉が関わった呉須赤絵写しの徳利でしょう。こうした赤絵具を多用する呉須赤絵写は、赤絵九谷の始まりともいえます。素地(きじ)は若杉窯の典型例で細かな貫入(かんにゅう)が全体的に入っています。小品ながら貞吉存命中の若杉窯初期の作で、当時の文人たちに懐石道具として愛されたイッピン!といえるでしょう。
(文・館長中矢)
若杉窯:呉須赤絵花卉文六角瓢徳利
サイズ:胴径11.0/高19.5cm
作者:若杉窯
制作年代:江戸時代後期
所蔵:KAM能美市九谷焼美術館|五彩館|
◆INFO
▽「能美窯の歩み展(やまぼうしの会展)」
期間:4月2日(火)~14日(日)※最終日は16時まで
会場:|五彩館|ロビーギャラリー
▽牡丹苑開苑10周年記念舞踊「華王の舞」(本紙26ページ)
日時:4月20日(土)13時~14時
会場:|五彩館|ロビーギャラリー
▽「第47回伝統九谷焼工芸展」
期間:~5月12日(日)
会場:|五彩館|
▽|体験館|は9月末まで改修工事のため休館
絵付け体験は|五彩館|2階で可能です。
※|五彩館|ロビーギャラリーは無料です。
■情報発信元:KAM 能美市九谷焼美術館|五彩館|
入館料:一般430円・75歳以上320円・高校生以下無料
※浅蔵五十吉記念館もあわせて入館いただけます。
基本的感染対策(手指消毒など)にご協力をお願いします。
問合せ:【電話】58-6100【FAX】58-6086
※月曜休館
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