今回のテーマは「歴史」
■〈茅ヶ崎市〉茅ヶ崎史に名を残す茅ヶ崎館(ちがさきかん)
明治時代から茅ヶ崎は9代目市川團十郎(だんじゅうろう)をはじめとする文化人達で賑わっていました。中でも旅館・茅ヶ崎館は、1936年に松竹撮影所が大船にできて以降、映画監督の小津安二郎をはじめ多くの監督や脚本家に利用されました。小津は1937年に初めて訪れた際、その環境を気に入り、1941年に始めた「戸田家の兄妹」の脚本執筆から、ここでさまざまな脚本家と共同執筆を行いました。野田高梧(こうご)と手掛けた「晩春」では、短いセリフ回しやローアングルにこだわった「小津調」を確立したと言われています。
小津映画の魅力が生まれた茅ヶ崎館には、今も是枝裕和監督など日本を代表する映画人が訪れるそうです。これからも、茅ヶ崎館で素敵な作品が生み出されていくのではないでしょうか。
問合せ:広報シティプロモーション課
【電話】81-7123
■〈藤沢市〉徳川家康が宿泊した藤沢宿の御殿
東海道五十三次の6番目の宿場であった藤沢宿は、江の島道や大山道への分岐点として栄えました。
東海道の宿駅(しゅくえき)として藤沢宿が整備されたのは1601年のことですが、それ以前に徳川家康が宿泊施設として利用した「藤沢御殿」が現在の藤沢一丁目辺りに築かれました。記録によると藤沢御殿の敷地は東西約156m、南北約71mの長方形で周囲を水堀に囲まれており、徳川家康が宿泊して以降、2代将軍・秀忠、3代将軍・家光の時代にわたり利用されていました。
現在は、「御殿」や御殿を管理するために配置された「陣屋」に由来する、御殿辺(てんべ)や陣屋小路(じんやこうじ)などの地名、御殿橋や陣屋橋といった橋の名に、その名残をとどめています。
旧藤沢宿の一角には、「藤沢市ふじさわ宿交流館」があり、藤沢宿に関する歴史を学ぶことができます。ぜひ訪れてみませんか。
問合せ:藤沢市広報シティプロモーション課
【電話】0466-25-1111
■〈寒川町〉国登録有形文化財旧広田医院
2023年8月、寒川町で初めて、「旧広田医院主屋」と「旧広田医院門柱及び塀」が国登録有形文化財(建造物)に登録されました。
旧広田医院主屋は洋館付和風住宅で、平屋建和館部分は格式のある座敷があります。洋館1階は、エックス線室や薬局が、2階には特徴的な和風の座敷などが残っています。当時の寒川では和洋館を併設する建物は近代化のシンボルでした。
現在の和館の元となる建物は明治時代に築かれ、関東大震災の被害を受けながら再建を重ね、今の形に至っています。1930年には、初代寒川町長の広田孝基により洋館などが増設され、息子の広田孝平がそれを改修後、広田医院を開業。周辺に病院も少なく、多くの住民に親しまれていました。2003年に閉業しましたが、「広田医院にかかっていた」という人は今も少なくありません。
多くの住民に親しまれた旧広田医院をこの機会にぜひチェックしてみてください。
問合せ:寒川町広報戦略課
【電話】74-1111
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