■地域文化を掘り起こそう~シリーズ「市内の小学校」(60)
市史編纂室 山田 雄造
◇昭和24年学事報告に見る勝山町の小学校
最初に南小学校から見ていく。「四月早々現地に移動し心機一転教育に専念することが出来た」とある。南校の当年の学級数は19で、児童数は854人、教職員は26人であった。少数の職員で多数の児童の指導に当たらねばならず、しかも新設校というハンデもあり先生方は大変だったと思う。しかし、元気な子どもたちの声と戦時下の重苦しい時代から解放された自由な空気は、先生にとって大きな励みとなり頑張れたのであろう。
職員の研究として、社会科中心の学習課程の検討、教育図書の研究及び購入とある。児童に対しては、PTA組織の活動、学童給食の実施、母親学級の開設、全校写生大会、学習発表会、ローマ字教育などとある。
下記表を見ていただきたい。一部を取りあげたに過ぎないが、現在と大きく異なる行事として6月の田植、9月の海人草服用、2月の寒冷休暇などが見られる。田植に限らず体を動かし、しかも屋外活動の多さが目立つ。当時は衛生状態が悪く、海人草は体内から回虫を駆除するために飲まされたのであろう。PTA関連の事業は月に1・5回は開かれている。学校給食もこの年から始まり、今から見ればそれ程のメニューではないが昭和20~30年代に小学生生活を送った年代にとっては御馳走だった。
ベビーブームの時代はこの少し先ではあるが、次に西小学校学事報告から当時の子供の多さを紹介する。学級数は30あり児童は1539人が在校しており1学級の児童数は51・3人となる。まさにすし詰め状態である。児童賞与の数字があげられていて、優等賞44人、自治賞20、努力賞194、6ケ年皆勤賞2、精勤賞2、1ケ年皆勤賞204、教育委員会賞1とある。自治賞とはどのような賞かご存じの方はいらっしゃいませんか。
(表)昭和24年度の主な学校行事
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