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さかい風土記151 鬼のいた里

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福井県坂井市

■「鬼」から「木」へ
鬼といえばどんな姿を想像するでしょうか。近年大ヒットしたアニメでは戦う強い鬼として描かれ、昔のコント番組では雷様として楽しげにウクレレを弾いています。世界各国、鬼のような存在は伝承され、文化や時代によって印象や役割を変えながら、今なお身近な存在といえます。
坂井市にある木部西方寺(きべさいほうじ)・木部新保(きべしんぼ)の両地区は九頭竜川東に位置しており、共通して木部の文字が付きます。元々この辺りは鬼辺(きべ)の郷(さと)と呼ばれ、鬼部、紀倍、紀部などに変化、最終的には「木部」が使われ現在に至ります。『福井県坂井郡誌』にある紀倍神社由緒(きべじんじゃゆいしょ)によると、この地域は葦の茂る土地で雷雲が絶えず、人の往来も困難でした。大同元年(806)、鬼の仕業と恐れた住民が平城天皇へ伝えたことで、比叡山(ひえいざん)から7人の僧侶とお供たちが鬼を退治するために来訪しました。僧侶たちが葦原を開き、広大な社(やしろ)を建て礼拝すると、黒雲は遠ざかり、災いは無くなったそうです。
残念ながらその社は水害や兵火(へいか)によって現存しません。移転先の紀倍神社には、鬼を退治し埋めた後にヒバが植えられたと伝わっています。織田軍により当時のヒバは焼失しましたが、代わりに植えられたヒバは推定樹齢400年で紀倍神社のオニヒバとして県の天然記念物に指定されています。
昔は未解明の恐怖を鬼と表現しました。文明が恐怖を解決しても鬼の存在が消えることはなく、役割を変えて存在しています。神社の御神木に変わったり、交差点の交通安全を見守る鬼の案山子(かかし)に変わったり、坂井市では住民とも仲良くやっているようです。
「木部」という地名には民話と歴史が織り込まれています。鬼から御神木へ、鬼辺から木部へと変化する2つの事象が重なって「木」の文字には神聖性や畏怖(いふ)、それに立ち向かった人々が見えてきます。

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