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さかい風土記153 愛宕山(あたごやま)とお城

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福井県坂井市

■防火と軍事守護の祈り
愛宕山の愛宕神社といえば、火の神を祭っており、火伏(ひぶせ)(防火)のご利益があることで有名です。『越前国丸岡城之絵図(えちぜんのくにまるおかじょうのえず)(正保城絵図(しょうほうしろえず)のうち)』によると、丸岡城より東側に「愛宕山」と描かれており、丸岡にも愛宕山があったことがわかります。現在は愛宕山と呼ばれる山はありませんが、丸岡城の東側に位置する丸岡町愛宕の名前は、この愛宕山が由来と考えられます。
愛宕山は全国にみられる名前の山ですが、丹波(たんば)国と山城(やましろ)国の境界(現在の京都府京都市の中部)にある愛宕山が始まりとされています。京都の愛宕山の神(愛宕権現(ごんげん))への信仰が広まったことで、全国各地で「愛宕山」の名前がみられるようになりました。
丸岡では天正4年(1576)、柴田勝豊(しばたかつとよ)が豊原を離れ、丸岡城を築いた際に、愛宕権現を豊原から篠岡山に移したといわれています。愛宕権現は、地域の境界で他から侵入するものを防ぐ神としても信仰されていました。また、愛宕権現の本地仏(ほんじぶつ)(神の姿を借りて人々の救済のために現れる仏)である勝軍地蔵を軍神とする信仰が戦国時代に広まったこともあり、愛宕権現を防火・軍事守護の神として祭ったのだと考えられます。
県内にも愛宕山は複数あり、そのほとんどが城跡の近くに位置しています。例えば、越前市は三日延城(みかのべじょう)跡、南越前町は燧ケ城(ひうちがじょう)跡の近くに愛宕山があり、福井市は福井城跡近くの足羽山が愛宕山と呼ばれていたことがあります。丸岡城を含め、築城時期はそれぞれ異なりますが、城を守るために防火・軍事守護の愛宕権現を近くに置いたり、愛宕権現の近くに城を築いたりしたのかもしれません。現在は、消防設備の整備、消防訓練の実施などにより、丸岡城を守っています。今も昔も、お城を守っていく気持ちは変わらないのです。

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