■時代とともに変化する東尋坊伝説
これまで令和4年度から2年間にわたって「坂井市の地名」を紹介してきました。中には皆さんの住んでいる地域が紹介された回があったかもしれません。地名にはそれぞれ物語や想いが込められていることが資料からもみえてきました。今回はそんな地名の中から、観光地として全国的にも知名度があり、天然記念物(てんねんきねんぶつ)・名勝(めいしょう)である東尋坊を紹介したいと思います。
東尋坊という名前の由来で、よく知られているものは、勝山市にある平泉寺(へいせんじ)にいた悪僧「東尋坊」の伝説です。「東尋坊」は、平泉寺中の僧から憎まれる悪僧で力も強かったそうです。ある時、日本海の岩壁で催された宴で、酒に酔った「東尋坊」を他の僧たちが崖から突き落としたというお話が最も有名で、これは、朝倉氏の興亡(こうぼう)を記した軍記物語『朝倉始末記(あさくらしまつき)』に紹介されているものです。しかし、東尋坊の伝説には、現代に進むにつれ、少しずつ内容が異なるものが出てきました。
東尋坊の伝説で異なる内容が出てきたのは、昭和10年(1935)頃、当時刊行された『福井評論(ふくいひょうろん)』の中で紹介されました。「東尋坊」が恋をしたお萱(かや)という娘が、「東尋坊」から逃げるために沼にはまって亡くなってしまいました。そのため、お萱の婚約者が敵討ちのために、「東尋坊」を絶壁から突き落としたというお話です。この他にも女性をめぐっての伝説がいくつかありますが、先の伝説を含め、どれも「東尋坊」が崖から突き落とされる結末です。
これらいろんな伝説が出てきた背景には、東尋坊が観光地として有名になっていったことにも関係があるようです。東尋坊の名前は、崖から突き落とされるという寂しい伝説が由来ですが、古くから観光地や文学の題材としても親しまれており、現在も春夏秋冬さまざまな美しい姿を見せてくれる世界に誇れる地域の自慢です。
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