■丸岡藩札(はんさつ)の発行
江戸時代の通貨として、日本の紙幣(しへい)の先駆けとなった藩札が各藩で使われるようになります。藩札は幕府の許可を得て、藩が発行したもので、限定した地域だけで流通した地域通貨にあたります。今で言うなら、福井県だけで使うことができる「ふくいはぴコイン」のようなものでした。
藩札は版木(はんぎ)で刷られており、種類には金貨に換えた金札(きんさつ)、銀貨に換えた銀札(ぎんさつ)、銅貨(銭貨)に換えた銭札(ぜにさつ)などがありました。藩札の発行には諸説がありますが、越前では福井藩が寛文(かんぶん)元年(1661)に初めて発行しました。福井藩は藩札を流通させて財政難を立て直そうとしました。続いて、丸岡藩でも、元禄(げんろく)12年(1699)に藩札が発行されました。藩札が発行された時期は、有馬家が丸岡に入った直後で出費がかさんだ時期でした。その後も、宝永(ほうえい)2年(1705)、元文(げんぶん)3年(1738)、延享(えんきょう)2年(1745)と、丸岡藩はたびたび藩札を発行し、1830年~1843年代の天保(てんぽう)年間まで発行したことが確認されています。
丸岡藩で発行された藩札は全て銀札でした。他藩でも銀札が多かったようです。そして、丸岡藩では商家が札座(ふだざ)(製造所)を務め、藩札には縁起の良い「弁財天(べんざいてん)(財物を与える天女)」の絵柄が刷られています。
坂井市龍翔博物館でも、丸岡藩札のうち、「元文通宝」、「宝暦(ほうれき)通宝」、「文政(ぶんせい)通宝」、「天保通宝」の4種類を展示しています。藩札には発行した年にちなんだ干支(えと)の動物の絵柄や、あるいは鳳凰(ほうおう)や布袋(ほてい)、宝珠(ほうじゅ)などの縁起が良い絵柄が刷られています。
丸岡藩札は、丸岡藩主・有馬家が、藩の財政を立て直そうと、近隣の福井藩を参考にしながら、早い時期から発行されたものだったのでしょう。
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