福井の昔の写真を、学芸員の解説を添えて紹介します。
■日之出公設市場からガレリア元町へ
現在の福井駅西口付近には「百間堀」と呼ばれた福井城の大きな堀がありました。その南側の埋め立てが進んだ明治40年以降、一帯は徐々に新興の町場として発展していきますが、その契機となったのは大正9年に現在のガレリア元町付近に開設した「日之出公設市場」です。「日之出」の名称は、当時の町名「日之出下町」に由来します。大正時代半ば、米騒動など物価の高騰が問題となっており、その対策として生活必需品を安く販売する公設市場が市内各地に設けられました。中でも日之出公設市場は福井駅に近く、周囲には食堂や映画館なども建ち並び「福井の新世界」と呼ばれました。戦災・震災で福井市街が壊滅した後、いち早く露店が立って復興の先駆けとなったのもこの場所でした。
戦後は「日之出商店街」となり、さらに町名が「元町」になったことを受け「元町商店街」と呼称するようになりました。平成3年には2代目のアーケードが整備され、「ガレリア元町」と呼ばれるようになりました。現在、近隣では「福井駅前南通り地区第一種市街地再開発事業」が進められており、再開発後は周囲の景色が大きく様変わりすることになります。
<この記事についてアンケートにご協力ください。>