福井の昔の写真を、学芸員の解説を添えて紹介します。
■福井駅の東西を結んだ城の橋の踏切
現在、多くのビルや施設に囲まれているJR福井駅。明治29年に官設鉄道北陸線の福井停車場として開業した当時、周辺にはまだ建物は少なく、桑畑が広がっていました。
その後、昭和初期にかけて、福井市は急速に発展します。ほぼ未開発だった福井駅の東側にも多くの住宅や工場が立ち並びましたが、西側の市街地と直線でつながる道路は長らく存在しませんでした。戦後の復興都市計画で、ようやく実現した東西を結ぶ道路の一つが、現在の「城の橋通り」です。沿道には、アカシアの木が植えられ、国鉄と交差する踏切には、毎日多くの人が行き交いました。
やがて経済成長に伴い交通量が増加すると、渋滞が頻発するようになり、これを解消するため、城の橋陸橋(豊島跨線橋(こせんきよう))が昭和48年に竣工(しゆんこう)しました。道路の長さは340メートル、高さ8・2メートル、平均勾配6・7度で、翌年には地下の歩道も完成しました。その後、北陸新幹線の開業に向けてJR、えちぜん鉄道などが高架化するのに伴い、陸橋は役目を終えます。城の橋陸橋は、平成16年から撤去工事が行われ、鉄道が高架上を、車や歩行者が地上を通る立体交差となりました。
北陸線の誕生から北陸新幹線開業まで、福井の中心市街地における東西交通のあり方は、鉄道の歴史と共に進化を遂げ、現在に至っています。
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