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ふるさと昔 よもやま話(140)

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福井県美浜町

■美浜に残る北前船の歴史
北前船といえば、敦賀や三国等を連想されるかもしれませんが、本町にも北前船主たちがいたことをご存じでしょうか。
有名なところでは、久々子の川渡甚太夫(かわとじんだい)。文化4年(1807)に生まれ、北海道から大阪まで北前船で商品の売買を行い「川渡甚太夫一代記」や「海上日記」を書き遺しています。
これらの記録は書籍化され、町立図書館でも読むことができます。司馬遼太郎も、北前船頭・高田屋嘉兵衛の生涯を描いた「菜の花の沖」のあとがきで「川渡甚太夫の生涯は、…一種の冒険者の生涯である。…」と数ページにわたって記しています。
この川渡甚太夫は、プロ野球で活躍された川藤幸三氏のご先祖でもあります。久々子では、現在の中西製菓さんのご先祖も明治年間に北前船頭として活躍され、写真のような絵馬が残っています。中西家では「宇波西丸」と名付けた船を何度か造り替えており、絵馬には和船、和洋折衷の「合の子船」、洋船の3隻が描かれています。
また、早瀬には多くの北前船主がいたことが分かっています。島根県浜田市の廻船問屋の客船帳には、江戸後期から明治にかけての150年ほどの間に30隻超の早瀬の船が、計60回以上出入りしていた記録があります。
早瀬の千歯扱き製造を始めた寺川庄兵衛も、当初は鳥取等から仕入れた千歯扱きを販売していました。その後、船便で島根や鳥取の鉄を買い入れ、質の良い千歯扱きを製造し、全国でも有数の産地となりました。新潟・出雲崎の廻船問屋の記録には、積み荷として千歯扱きも記されています。
北前船や千歯扱き等の商人層が多く料亭等も立ち並んだ早瀬には、子供歌舞伎や豪華な曳山・御輿、町並み等に当時の風情が残っています。
12月3日には、早瀬観光センターで「第4回みはま歴文講座美浜に行き交う北前船」として、立命館大学教授の河原典史先生にご講演いただき、区内の散策も行う予定です。どうぞ、ご参加ください。
また、坂尻や菅浜、丹生等にも北前船の幟旗や船絵馬、千石船の伝承等があります。「ハイヤ節」等の民謡も、北前船によって全国に伝わったといわれています。町内にはまだ知られていない北前船の足跡がたくさんあるのではないでしょうか。
町では、文化庁が選定する日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が描いた異空間~北前船寄港地・船主集落~」への登録を目指し、資料等も収集中です。何か資料や情報がありましたら、ぜひ町歴史文化館(【電話】32-0027)へお知らせください。
(美浜町歴史文化館)

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