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ふるさと昔 よもやま話 (144)

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福井県美浜町

■統計から読み取る70年前の美浜町~町制70周年を迎えて~
去る令和6年2月11日に、本町は町制70周年の節目を迎えました。
そこで、今号では、今から70年前、昭和29年(1954)の本町を同年の統計資料からご紹介します。
今回参照した「福井県市町(村)勢要覧」は福井県が毎年発表している統計であり、自治体毎に人口・世帯数から産業構造、文化や衛生分野までさまざまな情報が記されています。
まず、昭和29年の本町の人口は14,596人で、令和6年2月1日時点の8,936人に比べ、約1・6倍であったことが分かります。
また、産業別の世帯数を見ると、昭和29年では1,353世帯が農業に従事しており、次いで漁業・水産業が276世帯と続きました。
当時は、農機具の数についても調査が行われており、特徴的なのは動力付農具の割合が低いということです。例えば脱穀機では、足踏み式が約1,400台使用されている一方で、動力付きの脱穀機は314台に留まっています。農機具が様変わりし始め、移行しつつある状況を表した統計と言ってよいでしょう。
また、70年前の本町の産物の中には、たばこや山羊、兎のように現在では姿を消したものがあり、硅石はその代表格と言えるでしょう。当時は御岳山より耐熱レンガやガラスの原料となる硅石が産出され、昭和29年の産出量は1万9,000tに上り、輸送用に線路が敷設されるほどの一大産業でした。
当然、昭和29年の交通事情も現代とは大きく異なり、「諸車」の総数4,333台に対して、自動車は14台、その内貨物用の車が13台を占めたため、乗用車にあたる車はたった1台のみでした。また、自動自転車(バイク類)の台数も48台に留まり、当時本町にあった「車」のほとんどが自転車もしくはリヤカーでした。現代に至り、乗用車の数が8,000倍近く増加していることを考えると、70年間で町に1台の時代から、住民1人に1台の時代に劇的に変化したことを思い知らされます。
この70年で普及したのは自動車だけではありません。例えば、電話加入数は230件と電話を掛けられる方が珍しく、また前年に放送が始まったテレビはたった2世帯にしかありませんでした。1つの統計資料からは、語りつくせない程の社会と町の変化が読み取れます。
わかさ美浜町誌には、今号で紹介した頃の古き良き本町の風景を映した写真も多数掲載されていますので、図書館等で70年前の生まれたての本町に思いをはせていただけましたら幸いです。(美浜町歴史文化館)

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