■美浜と軽井沢の不思議なご縁~三笠ホテルの創業者 山本直良~
若狭国吉城歴史資料館では、7月21日まで北陸新幹線敦賀開業記念企画展(前期)『美浜と軽井沢の不思議なご縁~旧三笠ホテルと美浜の実業家山本家~』を開催しています。
美浜町と新幹線沿線の長野県軽井沢町との歴史がつないだご縁について、5月号では軽井沢町にある国重要文化財の旧三笠ホテルについて紹介しました。今月はその創業者で、美浜町ゆかりの実業家・山本直良(なおよし)について紹介します。
山本直良は明治3年(1870)2月、佐柿ゆかりの旧小浜藩士で、後に岩倉具視を支えた実業家・山本直成(なおしげ)の次男として生まれました。出生地は小浜町(小浜市)とされますが、同年1月に父直成が岩倉から東京への引っ越しを命じられたという記録もあり定かではありません。
獣医を志し、帝国大学農科大学(東京大学農学部)を卒業後、一時は獣医の職に就いていました。しかし、同30年(1897)に兄直行(なおゆき)が亡くなると、家督を相続し、父直成と同じく実業家の道に進みます。初めは岩倉家に仕え、のちに十五銀行(三井住友銀行)や日本郵船、明治製糖(DM三井製糖ホールディングス)等の役員を務めました。
また、彼は父直成が軽い軽井沢に購入した25万坪の広大な土地を避暑地として開発しました。その一環として、明治39年(1906)に三笠ホテルを開業し、ここを拠点に新たな地場産業を興しました。京都出身の陶芸家宮川香山(こうざん)を招いて「三笠焼」を開窯(かいよう)し、同ホテルに陶磁器製作所を設置しました。三笠焼と併せて、木通(あけび)つる細工やろくろ細工、軽井沢彫等を農閑期の仕事として奨励し、三笠商店を設けて販売しました。その他、外国人向けに食用の緬羊(ひつじ)を飼育したり、蔬菜(そさい)の栽培を行う等、さまざまな事業を展開しました。
後に彼は、軽井沢の観光と産業の一体化を図り、養殖漁業や植林の奨励、日本人向けの宿泊施設や大マーケットの建設、上野︱軽井沢の夏季限定列車の運行等、壮大な開発計画を描いていたことを語っています(軽井沢の発展策『住宅』第14号)。
妻は有島武郎の妹愛子で、その孫には映画『男はつらいよ』の主題歌の作曲家で知られる山本直純(なおずみ)がいます。その他にも実業家や芸術家の子孫が名を連ね、父直成を含め、山本家は佐柿が生んだ「華麗なる一族」といえるでしょう。
7月27日から開始する後期展示では、山本家一族が美浜町内に残した遺産や功績について紹介します。皆様のご来館をお待ちしています。
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