文字サイズ
自治体の皆さまへ

日本遺産 「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」に認定(2)

4/26

福井県美浜町

■町に伝わる北前船文化
◆INTERVIEW 渡辺 純造(じゅんぞう)さん・弘子(ひろこ)さん夫妻(早瀬) 北前船船主の御子孫が語る未来に繋ぎたい布絵と故郷
▽弘子さん
私の先祖は、北前船の中で小さい部類の小廻船で、島根県の浜田から新潟県の村上まで航海し、生計を立てていました。当時の早瀬には、多くの北前船が寄港し、大変賑やかな町だったと聞いています。
私が作る布絵作品には、北前船や早瀬の景色を多く描いています。親元の家を解体している際に、先祖が実際に使用していた櫂(かい)が屋根裏から落ちてきました。私にとって北前船や当時の早瀬を語り継がなければならないという先祖からの使命と感じ、これをきっかけに布絵の作品を展示するようになりました。
先祖から継いだこの想いを、後世に繋いでいくためにも、子や孫に伝えていきたいと思います。

▽純造さん
私が小さい頃の早瀬は、北前船が寄港していた頃の活気が残っており、映画館等の娯楽施設がありました。また、お祭りにも若狭地方の各地から人が集まって来るほど大いに賑わっていました。
日吉神社にある神輿や、子供歌舞伎の舞台に使われる曳山は、早瀬の船主や住民のご先祖たちが力を合わせて作られ、現代まで受け継がれています。日本遺産に認定されたことは、大変嬉しく思うと同時に北前船の寄港地・船主集落である早瀬を守り、育ててきたご先祖たちに感謝と誇りを感じています。
認定を機にご先祖が残してくれたこの地域と文化を若い世代の方にも知っていただき、住民が団結して早瀬を守り、興し、未来に繋いでいきたいと感じています。

◆INTERVIEW 中西 從介(つぐゆき)さん(久々子) 北前船船主の御子孫が語る 後世に語り継ぎたい先祖の功績
私の曾祖父の中西庄吉(しょうきち)さんは、北前船の船主・船長として明治16年から39年まで、海運業を生業として航海をし、美浜からは、農作物や油となる油桐の実、お酒等を運んで全国各地の寄港地で商売をしていました。また、北海道から大阪まで、全国を駆け巡っていたため、家に帰るのは年に数日しかなかったと聞いています。
23年の間に船を3隻乗り継いでおり、海運業を引退した際に、大阪の絵馬師に3隻の北前船の絵を依頼し、描いてもらったそうです。(第8頁(3)の舟絵馬)私が小さい頃から家に飾ってあったので良く知ってはいましたが、今回の日本遺産の構成文化財の1つとなったことには、驚きましたし、大事に残してきて良かったな思います。他にも、庄吉さんが佐支神社に奉納した奉納御座船も構成文化財となったことも嬉しく思います。
日本遺産の認定を受けて、危険と隣り合わせで航海をしていた先祖を改めて誇りに思い、先祖から受け継いだ話が途切れないように、語り継いでいきたいと思います。また、これを機に、北前船に興味を持つ人が増え、構成文化財を見に来たり、美浜を訪れる人が増えてくれることを願っています。

◆北前船のさまざまな史実・歴史文化をまちづくり・地域の活性化へ
美浜町長 戸嶋 秀樹
我が町の先人たちが大海原を舞台に北前船で広く交易をしていた史実が公に認められ、誠に喜ばしく先人たちの活躍と心意気を誇りに思います。
北前船に関する様々な調査に取り組むにあたり、地域の皆様には地域に伝わる北前船文化や神社や船主の家で守られてきた文化財の調査について、全面的なご協力をいただき、日本遺産認定という素晴らしい成果を得ることができました。
この成果は、北前船という史実を通して繋がった町と地域、関係者の皆様の努力の賜物であり、ご尽力いただきました全ての皆様に厚く御礼申し上げます。
調査の結果、早瀬の子供歌舞伎の曳山や水無月祭の神輿は船主や廻船問屋が寄進したとされていることや久々子には北前船ゆかりの羅針盤や船箪笥、坂尻には織旗、丹生には航海の安全を祈願した県内最古級の船絵馬が現存していることが分かりました。
私たちは、こうした貴重な文化財の歴史的価値を深く理解し、その文化や伝統等現代に受け継がれているものを誇りをもって後世に伝えていかなければなりません。
町としても、日本遺産に認定された史実を活かした地域づくり、まちづくりを地域の皆さんと共に取り組んでいく所存ですので、これまで以上のご理解とご支援を心からお願い申し上げます。

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU