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越前町の指定文化財を訪ねよう 125

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福井県越前町

■『神明ヶ谷須恵器窯跡』編(3)
学H:こんにちは。
E子:こんにちは。よろしくお願いします。
学H:今回も神明ヶ谷須恵器窯跡(しめがたにすえきかまあと)についてみていきます。
E子:神明ヶ谷須恵器窯跡はいつ頃に操業していた窯ですか?
学H:神明ヶ谷須恵器窯跡は平安時代前期(九世紀前半~一○世紀)に操業していました。E子さんは須恵器がいつ頃まで生産されていたのか覚えていますか?
E子:確か古墳時代中期から平安時代前期にかけてでしたよね。
学H:その通りです。古代越前における須恵器生産は八世紀前半の小粕(こかす)一・二窯跡(鎌坂)から、一○世紀前半の金比羅山登り口一号窯(小曽原)まで続きました。神明ヶ谷須恵器窯跡は出土品の型式から、九世紀末~一○世紀初頭に操業していたとされ、古代越前の須恵器生産の中でも終末期に位置付けられます。
E子:同じ須恵器でも時代によって違いがあるのですか?
学H:もちろんありますよ。前々回にも話しましたが、須恵器の使用用途は時代によって異なります。古墳時代には多くが葬祭供献用に使用されていましたが、飛鳥~平安時代になると日用品として用いられるようになります。また、九世紀前半から後半にかけて皿は小型化し、一○世紀頃からは皿など一部の器が作られなくなるなど変化します。
E子:結構な変化がありますね。
また、このあたりの地域にはたくさんの須恵器窯がありましたが、なぜ神明ヶ谷須恵器窯跡は県指定文化財として残っているのですか?
学H:県指定文化財になった理由として、窯に外部施設があることが考えられます。
E子:外部施設ですか?
学H:前回、雨水が窯体に流入しないように窯の周囲に造られた排水溝や、小屋の跡について説明したのを覚えていますか?
E子:もちろん覚えています!
とくに小屋の跡については、見つけることが難しかったので印象に残っています。
学H:福井県内で発掘された須恵器窯のうち、排水溝が掘られていた遺跡はありましたが、小屋の跡がはっきり残っているものはありません。そのため貴重な遺跡であるとして、発掘調査が行われた翌年の昭和四十一年(一九六六)に県指定文化財に登録されました。
また、福井県内でほぼ当時の姿のままで残っているのも神明ヶ谷須恵器窯跡のみであり、大変貴重な遺跡といえます。
次回からは別の須恵器窯を見ていきます。
E子:どこの須恵器窯か楽しみです!

[引用・参考文献]
堀大介「古代の須恵器編年と暦年代―越前・加賀を中心にー」『越前町文化財調査報告書I』越前町教育委員会 二○○六

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