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シリーズ人権を考える(301) THE HUMAN RIGHTS

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福岡県古賀市

◆『ゲンバクと呼ばれた少年』から学ぶ
爆心地から約1・2km、山王神社被爆クスノキから約0・4kmの浦上町(長崎市)に住んでいた被差別部落出身の中村由よしかず一さんは、爆風でレンガ塀の下敷きとなり、頭や両足に大きな傷を負いましたが、九死に一生を得ました。当時まだ2歳でした。
被爆の影響で両足は大やけどを負い、小学校入学時には髪の毛が抜け落ち、指先は79年経った今も動かないそうです。

その後、被害の少なかった大浦町へ引っ越し、小学校に入学しましたが、髪の毛が抜け落ちたことや歩行困難であること、放射能がうつるといった偏見から、「中村由一」とは呼ばれず、『ハゲ』『カッパ』『ゲンバク』といったあだ名で呼ばれ、壮絶ないじめや嫌がらせを受けました。
しかし、懸命に働き小学校に通わせてくれる母親のことを想い、歯を食いしばり小学校卒業までこぎつけました。

卒業式当日、入学時以来一度も呼ばれなかったのに、式典の中で、担任から「中村由一」と名前を呼ばれました。「なんで今日だけ『中村由一』と呼ばれるのか」と複雑な気持ちの中で、「先生、いつも通り『ゲンバク』と呼んでくれんね」と、きっぱり言いましたが、「今日は『中村由一』になってください」と耳元で囁かれたそうです。
「絶対返事をするものか」と思いましたが、再度「中村由一」と促され、「ハイ」と返事をしてしまい、何かに負けた気持ちになったそうです。

中学卒業時の就職活動中に、中村さんは新たな差別を受けました。被差別部落出身という理由で、クラスで一人だけ希望の会社に入れず、その後、船の修理工場、靴職人の見習いなどを経て、長崎市内の郵便局に就職したそうです。

被爆による差別と、被差別部落出身による差別の二重の差別と闘い続けた中村さん。81歳になった現在も、戦争の悲惨さや平和の大切さ、そして部落差別をなくすことを、自身の体験を通して伝え続けています。「差別やいじめはなくなる」と信じて。

参考:『ゲンバクとよばれた少年』中村由一聞き書き/渡辺考(講談社)

インターネット上の差別書き込みや誹謗中傷など、現在でも差別やいじめは形を変えながら存在し続けています。
私たち一人ひとりが正しい知識を身に付け、行動につなげることが大切です。

▽隣保館「ひだまり館」
隣保館「ひだまり館」では、一人ひとりの人権が尊重され、すべての市民が心豊かに暮らせる「いのち輝くまちこが」をめざし、部落差別(同和問題)の早期解決をはじめ、さまざまな人権課題の解決へ向け、情報発信や困りごとの相談支援を行っています。

▽被爆クスノキ
長崎市の山王神社には、1945年の原子爆弾による被爆で一度枯れかけたものの、2年後に再び新芽を出して復活し、復興に向かう人々に勇気を与えたクスノキがあります。

▽2015年頃に、市内全小中学校や古賀市役所に被爆クスノキ二世が植樹されており、大きく成長した姿が見られます。

※詳しくは広報紙をご覧ください。

問合せ・相談:古賀市隣保館「ひだまり館」
【電話】943-4222

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