■大野城心のふるさと館のおすすめ(5)
◇竹田家文書(もんじょ)の紹介1
「竹田家文書」は、江戸時代に福岡藩の儒学者(じゅがくしゃ)であった竹田家に伝来した古文書です。令和5年3月に中世から近代までの古文書約4000件が、大野城市に寄贈されました。今回はその中から中世の古文書について紹介します。
竹田家文書の中で、最も古い文書は室町時代の建武(けんむ)3年(1336)2月27日に書かれた「石橋和義(いしばしかずよし)奉書(ほうしょ)」です。「奉書」とは、身分の高い人が家来(けらい)に書かせた文書のことで、長年「左近大夫将監(さこんだゆうしょうげん)源某奉書(みなもとなにがしほうしょ)」と呼ばれていましたが、近年の研究で「源某」が、室町幕府初代将軍足利尊氏(あしかがたかうじ)の側近の石橋和義であることが明らかになりました。この文書は、足利尊氏が新見九郎貞直(にいみくろうさだなお)という人物を備中国(びっちゅうのくに)新見荘(にいみのしょう)(現在の岡山県新見市)の地頭職(じとうしき)(土地の支配を認められた職)として認めるというものです。足利尊氏の意向をくんで石橋和義が作成し、新見九郎貞直へ届けられました。こうした新見荘に関係する文書が51件あります。
また、加賀国(かがのくに)横江荘(よこえのしょう)(現在の石川県白山市)に関係する戦国時代の年号を持つ古文書やそれを写したものが20件ほどあるほか、筑前国や豊後国に関する文書などもあります。
これらの中世史料は、竹田家と関係ないように思えますが、江戸時代の竹田家がどういう歴史的背景をもつのかを知る上で、重要な史料です。
今回紹介した文書や中世史料については『新修福岡市史』などで翻刻(ほんこく)(古文書などを活字化すること)したものを読むことができます。中世史料の中には、まだ翻刻されていない史料がたくさんあるため、継続的に調査を進めていくことにより、新たな発見が期待されます。大野城心のふるさと館では、今後竹田家文書を活用した展示を行っていく予定です。
問い合わせ先:心のふるさと館ミュージアム担当
【電話】558-2206
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