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あけてみよう! 歴史のとびら 179

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福岡県大野城市

■大野城心のふるさと館のおすすめ(8)
◇行き交う人々を見守った郡境界標
県道112号線(福岡日田線)が走る雑餉隈〜錦町間は、江戸時代に博多と日田を結んだ日田街道が通っていました。雑餉隈や山田周辺は博多と二日市の宿場のちょうど中間地点にあったため、「間の宿」と呼ばれ、太宰府天満宮にお参りをする人々や、休憩する藩主、大名の一行など多くの人々で賑わいました。
さて、その日田街道の道際、現在のロイヤルチェスターの南側には、かつて旧御笠郡と那珂郡の境界を示す郡境界標が置かれていました。
郡境界標は高さ117cmの花崗岩の角柱で、表面に「従是(これより)西那珂郡(にしなかぐん)東御笠郡(ひがしみかさぐん)」、側面にそれぞれ「井相田村抱(かかえ)」「筒井村抱」、裏面には建てられた年代である「文化(ぶんか)丁丑歳(ひのとうしのとし)四月(しがつ)」(一八一七年)という文字が刻まれています。当時、今の大野城市の大部分は御笠郡に属していましたが、井相田村の一部を含む現在の雑餉隈一帯は那珂郡に属していました。
写真は昭和50年(1975年)の郡境界標です。右側の道路角に面した部分がガタガタになっているのが分かります。建てられてから百年以上もの間道沿いにあった郡境界標でしたが、戦後自動車の往来が増えたことで倒壊の危険にさらされていました。そのため平成12年(2000年)に移設されることとなり、現在は心のふるさと館の2階で展示されています。跡地には、代わりにミニチュアの石碑と説明版が設置されました。
行き交う人々を見守った郡境界標は、今ではクライミングを楽しむ人々をそっと見つめています。
心のふるさと館では、街道の賑わいを感じられる「御笠の森と日田街道展」を9月8日(日)まで開催しています。旅籠(はたご)跡からの出土品や古い町並みの写真などを通じて、歴史を感じてみませんか。
※写真は本紙をご覧ください。

問い合わせ先:心のふるさと館ミュージアム担当
【電話】558-5000

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