■学校と教育制度の変遷 その14
~道徳教育の復活~
○「道徳」教育の復活
わが国は昭和20年8月の敗戦により、国政全般が連合国軍総司令部(GHQ)の指令に基づいて進められていました。教育の分野では、同年10月22日指令の「日本教育制度に対する管理政策」があります。要するに、軍国主義・超国家主義的教育の禁止であり、同年12月31日には、「修身」「日本歴史」「地理」の授業停止に関する覚書が示されます(本紙2月号に関連記事)。
その一方では、同23年3月4日GHQは、祝祭日に国旗を掲揚することを認めます。これを踏まえてのことでしょう。同25年10月17日文部省は、「学校行事に国旗掲揚・君が代斉唱をすすめる」文部大臣談話を通達します。
翌26年に文部省は、学習指導要領の全面改定を行い、その中で道徳教育と健康教育について、「学校教育活動を通して指導すること」を提案します。
同33年3月18日付で文部省は、「道徳教育の実施要項」および4月からの実施について通達しています。
この一連の経過の時代背景として、GHQとのわが国の主権回復交渉(同26年9月8日、対日平和条約調印)や、朝鮮戦争勃発(同25年6月25日)など、国際情勢の変化がうかがえます。
この時の文部省通達によって、カリキュラムの中に「道徳」の時間が設けられ、その後は徐々に時間の経過とともに定着していきます。
同52年7月23日文部省は、小中学校の学習指導要領の改定を行い、「道徳」「体育」を一層重視して、知・徳・体の調和のとれた、人間性豊かな児童生徒の育成を目指すとともに、「君が代」を国歌と規定します。
○「学校・家庭・地域連携推進会議」の発足
同62年度から3年間にわたって下広川小学校が、文部省から「道徳教育」の研究委嘱を受けます。
主題である「道徳」は、学校だけで取り組むべきことではなく、家庭もさらには地域も一緒に取り組むことでなくては、その成果をものにすることはできないだろうとの共通理解のもと、研究受託の側面的支援の意味もあって、同63年5月のこと、町内で最初となる「学校・家庭・地域連携推進会議」が発足しました。
下広川小学校でこのような組織がすんなりと発足したのには、その数年前からすでに何かにつけて、学校と地域との連携を模策してきた経緯があって、その効果でもあったと理解しています。
平成元年10月27日、3年間の研究と実践を踏まえての、研究発表会が開催され、九州管内はいうまでもなく遠くは千葉県などから、550人超の参加者がありました。
そこでは講評で文部省の研究指導官から、児童を中心に学校・家庭・地域が一体となった取り組みの重要性が高く評価され、研究発表会は盛会裏に終了したことを想い出しています。
○広川町古墳資料館だより
整理作業室で須恵器(すえき)の大甕(おおみか)を復元しています。古墳時代の集落から出土したもので、高さは約76センチメートル、胴径は2メートル27センチメートルもあります。原型をとどめず、破片になっていたので、印をつけてパズル合わせのように組み立てています。須恵器は、登り窯で高温で焼かれ、叩くと金属質の音がする灰色の焼き物です。
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