■学校と教育制度の変遷 その15
~学校週5日制の実施~
○学校週5日制へ
平成4年2月20日、文部省は「学校5日制」の実施を正式に決定します。実施は同年9月12日から(月に1回第2(土)を休日に)となりました。
文部省は同6年10月6日、それまでの月1回に加え、新たに第4(土)も休みとすることを発表。対象となったのは、公立の幼稚園を含む、小学校・中学校・高等学校で、実施は同7年4月1日からとなります。
文部省発表を受けて、自治体の教育現場はこれに対する体制づくりが必要となり、がぜんあわただしくなります。広川町でも同年2月9日に開催された「町青少年健全育成大会」で、学校5日制をテーマに、学校・公民館・子ども会育成会・PTA代表によるシンポジウムが行われました。
○学校週5日制の完全実施
さらに同14年4月1日からは、学習指導要領の改定に基づいて、毎週(土)を休日とする学校週5日制が、完全実施となりました。
そもそも学校5日制の基本的なねらいはどこにあったかというと、
・学校教育に対しての過度な依存・知育偏重・受験競争の過熱化・過度の塾通い、そのことに伴う子どもの遊びの激減をはじめとし、自然・社会・生活体験などの著しい減少問題などへの対応が求められてきたという時代背景がある。
・社会全体での週休2日制が進展しつつある中で、それに応じて学校・家庭・地域の教育機能を発揮させるためにも、教育全体を見直す必要がある。
・社会の週休2日制で生じた、親や地域の大人の時間的なゆとりを、子どもの教育の充実に向ける必要がある。
などでした。この時の学習指導要領の改定(戦後の教育制度では7回目)では、「総合的な学習」の時間が設けられたことは、象徴すべきことです。小学校3年生から高校まで必須科目となりましたが、これには他科のような教科書があるわけでなく、当該計画については、学校に任せられたという点で、他教科とは著しく異なるもので、マスコミなども含めて、大きく論議を呼ぶところとなりました。
後に教師用の指導書ができましたが、「ゆとり教育」の中で、子どもたちに「生きる力」を養い育んでもらいたい、というのが基本的なねらいだったかと理解しています。
この結果、授業時間が小学校6年生で年間1015時間から945時間、中学校3年生で1050時間から980時間へと、それぞれ70時間減少し、これはこれで大きな問題となったことは、いうまでもありません。
○広川町古墳資料館だより
広報紙5月号で紹介した須恵器大甕(すえきおおがめ)の表面には、格子(こうし)の模様と内側には同心円(どうしんえん)の模様が観察できます。ろくろを使用して大甕の形に粘土ひもを積み上げ、次に器面の内側に同心円が彫られた当て具をあてます。外側から直線の筋彫りがされた叩き板で叩き締めることで、内外面にできる模様です。
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