■部落差別(同和問題)各論
部落差別(同和問題)の解決を図るためには、解決のための方向性を社会全体に共有していくことがとても大切です。
部落差別について、誤解された考え方の典型として次のようなものが挙げられます。
・差別されるのは、差別される側にも問題があるのでは?
差別は差別をする人が悪いのであって、差別をされる側に問題はありません。部落差別は長い歴史の中で「意図的」に作り上げられたものです。
・部落の人々が、一定地区にかたまって生活しないで、分散して住むようにしては?(分散論)
どこに住むかはその人の自由です。憲法でも居住・移転の自由が認められています。たとえ違う場所に住んだとしても、部落差別が存在することで、おびえながら生活することを余儀なくされるのであれば、解決にはつながりません。
・部落差別のことを口に出さず、そっとしておけば差別は自然になくなるのでは?(寝た子を起こすな論)
現状としてさまざまな問題点があるにも関わらず、それらを直視しないことによって、問題がないことにしてしまう消極的な考え方です。結果としてそのまま問題が放置されてしまうことになります。仮に放置された状態が続いたとして、ある時その情報に接した際、誰もが正しく理解し行動できるでしょうか。普段からの人権教育・啓発の大切さが再認識されます。
このほか、「自分は差別しないから関係ない」や「放っておいて何も取り組まなくてよい」など、このような意識が差別や偏見を助長し、新たな差別を生み出してしまうかもしれません。
1922(大正11)年に出された日本で最初の人権宣言である「水平社宣言」の最後には、「人の世に熱あれ、人間に光あれ」で結ばれています。「熱」は「人の夢や希望の実現」、「光」は「一人ひとりの人生が光り輝く」という意味を持つともいわれています。お互いの人権を尊重し誰もが活躍できる社会を目指していきましょう。
問合せ:市人権・同和対策課
【電話】52-1174
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