市内の歴史遺産のロマンを追いかけるシリーズ
二十一.豊臣秀吉と秋月街道
秋月藩初代藩主、黒田長興(ながおき)が整備したものの中に街道があります。この街道は秋月街道と呼ばれています。秋月街道がいつの時代に開通されたかは不明ですが、律令体制のもと、九州各地と、「遠(とお)の朝廷(みかど)」と呼ばれ九州地方を統治する大宰府を結ぶ道として整備された旧官道を元に開通されたと考えられています。
街道は、「人・モノ・コト」の流通インフラとして活用され、時には軍勢の往来にも利用されました。戦国期には、秋月氏が街道の要衝に山城を築き、古処山城を中心とした山城群を連携することにより、領地を保護していました。16世紀末には、九州平定のため軍を発した豊臣秀吉の本隊が通ったことでも知られています。秋月種実(たねざね)が降伏した後、秀吉は戦後処理のため、秋月に2泊したことが伝わっています。
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