■直方の炭鉱の歴史
第6回 救護訓練施設の整備
◇筑豊石炭鉱業組合の建造物
筑豊石炭鉱業組合が建立した建造物で現存する次の二つは平成三十年(2018年)に国指定史跡になった貴重な文化財です。「筑豊炭田遺跡群」として田川市の三井田川鉱業所伊田抗跡、飯塚市の目尾(しゃかのお)炭坑跡と共に指定されました。
◇直方市石炭記念館本館
(旧筑豊石炭鉱業組合直方会議所。昭和六三年(1988年)に直方市指定文化財)
◇救護練習所模擬坑道
(石炭記念館の背後の高台にある)
◇救護訓練施設の歴史
石炭の採掘は鉱脈を求めて時代が進むにつれて地中深くまで行われるようになり、ガス爆発や落盤などの災害が頻発しました。
大規模災害が発生すると個別の炭鉱の救助隊では対応できず、他の炭鉱からの応援が必要になります。
筑豊石炭鉱業組合は明治四三年(1910年)の直方会議所建設直後から災害発生時の罹災者救出および復旧作業を行うためにドイツ・イギリスの高価な救命器を常備し、組合加入の各炭鉱から派遣された救護隊員に救命器の使用練習を行いました。
大正十一年(1922年)に「筑豊石炭鉱業組合救護隊練習所」と呼称し救護隊員の養成と救命器の使用訓練を体系的に開始しました。これはわが国で初めての育成機関でした。
救護隊の訓練の模様は筑豊石炭鉱業組合が撮影した写真六枚が組合の設立した筑豊鉱山学校に教材として寄贈され、原版写真は小郡市の九州歴史資料館に所蔵されておりパネルが福岡県立筑豊高校校舎内に設置された記念資料室で見学することができます。(第一第三日曜日午後公開)
また昭和十年(1935年)に筑豊鉱山学校で開催された筑豊石炭鉱業組合創立五十周年記念式典で披露された模擬救護練習の記録映画もDVD化されて写真と共に見学できます。
◇救護練習所模擬坑道の歴史
明治四五年(1912年)に救命器の検査と使用練習用の木造煙室兼練習室が国内で初めて建設されました。
大正九年(1920年)には煉瓦部分と鉄筋コンクリート部分を有する水平坑道が完成、大正十二年(1923年)には斜坑道が完成して現在の規模に近い巨大な模擬坑道になりました。
その後、全国の産炭地に同様の模擬坑道が建設されました。
◇その後の救護練習所
戦時下の統制政策のため昭和十六年(1941年)筑豊石炭鉱業組合は解散して石炭統制会が発足し、直方会議所は救護練習所の事務室になりました。
昭和四三年(1968年)に直方救護練習所は廃止され、日本石炭協会九州支部から直方市に寄贈されて昭和四六年(1971年)に直方市石炭記念館が開館しました。
斜坑入口での訓練写真は隊員の装備から昭和初期と推測されます。
文 榊 正澄
文化財に関する問合せ:文化・スポーツ推進課社会教育係
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