『蒙古(もうこ)襲来ゆかりの地~2024年は文永の役から750年~』
西区には、元寇(げんこう)防塁や蒙古山など、蒙古襲来に関連する史跡が数多く残っています。この機会に関連の史跡を訪れ、地域の歴史に思いをはせてみませんか。
■蒙古襲来とは
鎌倉時代中期の1274(文永11)年と1281(弘安4)年に、アジアからヨーロッパにかけて大帝国を築いていたモンゴル帝国・元(げん)が、日本に侵攻したことをいいます。主な戦場は対馬、壱岐、博多で、当時の鎌倉幕府軍は、元軍の集団戦法や鉄砲(てつはう)など、見たことのない新兵器に苦戦しました。
▽元寇防塁
文永の役の後、元軍の再来に備えて約半年という短期間で博多湾沿岸に築かれた石塁が元寇防塁です。長さは西区・今津から東区・香椎まで、博多湾沿岸の約20キロに及びます。この防塁のおかげで、元軍は2度目の侵攻(弘安の役)で博多に直接上陸できず、防塁のない志賀島から上陸し、そこで戦いが繰り広げられたと伝えられています。
■蒙古襲来に関する区内の史跡
往時をしのぶ区内の史跡の中から、一部を紹介します。
▽蒙古山
糸島半島の北東端に立つ標高約158mの山です。蒙古襲来の際には見張り台が置かれ、両軍の犠牲者が埋葬されたと伝えられています。
▽生の松原地区元寇防塁
約2.5kmにわたって、白砂と松原の境を防塁が縫うように続いています。「蒙古襲来絵詞(えことば)」に描かれている肥後の御家人・竹崎季長(すえなが)が防塁の前を馬に乗って進む場面は、この生の松原の情景です。
区内に点在する元寇防塁は、国の史跡にも指定されています。各所を巡って、それぞれの景観を楽しむのもお勧めです。
■地域の取り組み
西部8校区の自治協議会役員で構成された代表者連絡協議会は、文永の役から750年を機に、「元寇750年記念事業実行委員会」を立ち上げ、地域活性化を目指す活動を始めています。今年は、シンポジウムなどのイベントのほか、公民館での歴史講座などが開催され、区も地域の活動を支援しています。
協議会の代表を務める北崎校区高橋会長は、「区の皆さんに蒙古襲来が福岡市に与えた影響や歴史を知ってもらい、住んでいる地域に誇りを持ってもらえたらと活動をしています。その想いが広まり、50年後、元寇800年事業を行ってくれる世代が育つことを期待しています」と話します。
問い合わせ:区企画振興課
【電話】092-895-7007【FAX】092-885-0467
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