■其の九十八
くらしを変(か)えた「ほ場整備(じょうせいび)」
終戦から間もない昭和20年代当初、日本は食糧難の時代でした。労働力や物が不足し、また、地震や台風などに相次いで襲われ、日本の農業生産力は大きく低下していました。さらに農村部では、戦災者や引揚者などの流入で人口が増え、食糧不足はより深刻になりました。都市周辺の筑紫野市域でも同様でした。
こうしたなかで国が行ったのが、地主から土地を買い上げ小作人に売り渡すことで自作農家を増やす「農地改革」です。さらに、国は昭和36年に農業基本法を制定し、農業生産性の向上と農家の所得向上のための改善を行いました。その一つが「ほ場整備」です。これは、農地の区画を整え耕地面積を広げ、用・排水路と農道の整備を行うものでした。これにより野菜など米以外の生産物の増加がはかられました。また、大型トラクターやライスセンターといった大型機械や近代的施設の導入などが進みました。本市でも、昭和43年に馬市で最初にほ場整備が行われ、御笠、西小田、山家でも実施されました。
ほ場整備前の農業は、親戚や知人、近所などで助け合って行われていました。自然との結びつきが深く「田の神様」などへ豊作を祈願し、神社で「おこもり」などが行われていました。しかし、ほ場整備を境に農業の姿は共同から個々へと大きく変わり、農村で受け継がれてきた豊作を祈る神事は、現代、農業の近代化とともに人々の暮らしの中から消えつつあります。
問合せ:文化財課
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