■二世から三世へ
平成16年、旧寒田小学校最後の日に、当時勤務していた三明祐子さんが被爆エノキニ世の周りで実生の芽を発見します。その後、鉢上げをし、大切に育てていました。平成21年、福田安次さんからの依頼で、絵本をかいた長崎源之助さんの母校(横浜市立井土ケ谷小学校)にこの三世が贈られます。こうして脈々と平和への願いは引き継がれています。
※三明さんにお話を聞くことができました
■平和のバトンはあなたの手に
三明さんと栗田さんは旧寒田小学校で、被爆エノキ二世を育てる活動などを通して平和学習を行いました。先生として、生徒として携わった活動についてお話を聞きました。
◇私は徹くんがいた頃を含めて11年間旧寒田小学校に勤務していました。寒田小はみんな家族のようなアットホームな学校で、地域の核になる場所でした。学校の中でもエノキの取組は中心の取組でした。被爆された福田さんに実際に会ったとき、子どもたちの手をしっかりと握って「平和のバトンを渡したよ」と言われたんです。私にとって平和のバトンはこのエノキだと感じて、エノキ三世の芽を見つけてから、鉢上げして育て続けていました。そのエノキ三世を横浜の井土ケ谷小学校につなぐことができてよかったです。その後偶然にも自分が横浜で働くことになり、縁を感じましたし、知らない土地でも心強く感じたことを思い出します。閉校したあとも地域団体の「寒田一番星」の皆さんが中心になってエノキ二世を管理してくれていました。地域の人が守ってくれていると本当に感じます。最近また新たに二世の下に三世が芽吹いているのを発見したんです。可能であれば学校などで新しいエノキの取組をスタートしてもらえるとうれしいですね。それがまた、戦争を経験した福田さんや長崎さんの思いを受け継いでいくことになるのかなと思います。
旧寒田小の元養護教諭 三明祐子さん
◇被爆エノキ二世をもらったのは兄が卒業する年でした。小学生の頃の記憶なのであいまいな部分もありますが、8月6日と言えば平和学習をしたあとに必ずエノキの周りに集まって『エノキさんの歌』を歌っていたことは覚えています。泣きながら歌っていた子もいて、みんな「特別な木」「平和の木」「枯らしてはいけない木」という認識を持っていると思います。閉校後はエノキ周辺の草刈りなどを自治会と一緒にしていました。森林組合に勤めていたので、せん定も造園業者に聞きながら挑戦しました。地域のみんながエノキを大切にするのはもちろん被爆エノキ二世だからですが、エノキの活動に携わった人たちとの思い出や学校がなくなったさみしさなどそれぞれの思い入れもあってのことだと思います。その思い出や人への思いが加わって「守るべきもの」と思っているんだと思います。寒田小で習った神楽を上城井小で今教えています。神楽もエノキのことも次の子どもたちに伝えていく責任を感じています。寒田小で育っていなかったらそんな風には思わなかったかもしれません。
平成11年に旧寒田小を卒業 栗田徹さん
■寒田小学校「エノキ二世」植樹30周年記念企画展
~広島・福岡を結ぶ「平和の木」たち~
※同時開催 山の子サロン
旧寒田小学校の資料を紐解き、写真や新聞、児童の制作物などで実践をめぐります。
日時:8月10日(土)、11日(日・祝)10時~16時
場所:上城井公民館
◇事前公開
8月7日(水)、8日(木)、9日(金)10時~12時
場所:上城井小学校(1階図書室)
協力:上城井小学校、長崎源之助追悼展実行委員会、折り鶴が運んだ「平和の木」プロジェクト
主催:寒田小学校周年行事実行委員会
有田利昭さん
寒田小のエノキと兄弟にあたる木がみやこ町の犀川小学校にあります。有田さんは犀川小学校の元校長で在職中から、「『平和の木』のある学校としてできること」を学校だよりなどで伝えていました。現在も被爆エノキのことを広める活動をされています。
ヒロシマから福岡へ、そして福岡から横浜へ、「エノキさん」の「いのちのリレー」は二世から三世へとバトンが進んでいます。平和を願う心とともに、人から人へ。(「寒田小周年行事実行委員会だより」より抜粋)
私たちができること、それはもの言わぬ証言者「被爆エノキ」自身のいのちのリレーと、それを守り、支え、つなぎ続けてきた人たちの思いを「知り・考え・広げる」ことではないかと思っています。(「犀川小だより」より抜粋)
問合せ:寒田小学校周年行事実行委員会
【電話】31-7201
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