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悠久に生きる伝統 大内田神楽、5年ぶりのお披露目 4/27

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福岡県赤村

毎年4月の最終土曜は大内田区の神幸祭。
夜には大内田研修センターで5年ぶりに神楽が披露されました。
久しぶりの演舞を見に帰省したという人、テレビで見て初めて来たという人、5年の間に子どもが生まれ、鬼に抱きあげてもらおうとやって来た人…。
会場には座る場所がないほど人が集まりました。

▽大内田神楽とは
「家が3軒になるまで続けよ―」大内田岩戸神楽(おおうちだいわとかぐら)の歴史は江戸時代(1655)までさかのぼります。疫病に苦しんだ当時の村人が無病息災・天下泰平を願って始めたのがきっかけでした。世代を超え、脈々と受け継がれてきた「万年願」である神楽は、400年の時を越え、現在は地元保存会の手により伝統を今に伝えています。
九州では高千穂や豊前地方など、各地に広く展開している神楽の文化。大内田神楽は「鬼」の演目に代表されるように、きらびやかな衣装をまとった舞手が激しく身をひるがえしながら舞い上げる、力強くも華麗な演舞が特徴です。
神さまを迎えるために場を清めるもの、お米を用いて五穀豊穣を願うもの、神々が互いに争い合うものなど、演目は多種多様にわたります。

▽人から人へ伝わる歴史
演目には台本や楽譜は無く、全て先人たちからの口伝え。舞台を飾る四方の竹は地元で切り出したものです。本番を控えた4月の夜には幅広い年齢層が集まり、2日に1度、2時間の練習を重ねました。
本番では1人が3〜4役を担い、太鼓や笛役と何度も交代を繰り返しながら、3時間にわたって舞い続けました。

▽進化を続ける伝統芸能
基本の動きを覚えたうえで、一人ひとりが自分なりの「色」を出すことで少しずつ変化してきた神楽の演舞。「所作(しょさ)」と呼ばれる細かな足運びや腰づかいは、演じる人によって独自の個性が出るのだとか。笛や太鼓と息を合わせながら、時には即興で演舞を変えることも。「同じ舞は2度とは見られない」と会のメンバーは語ります。

▽保存会は若手中心に
大内田区にゆかりがある男性で構成される保存会は現在若手メンバーが中心。コロナ禍であっても、お宮(大祖神社)や風治八幡宮(田川市)で上演したり、古くなった衣装を新調したりと、できることを続けてきました。最年少は6歳の平野湊翔(ひらのみなと)さん。10代や20代のメンバーもおり、人口減少が続くなかでも、新しい世代へと伝統は受け継がれています。

《演目の流れ(抜粋》
1「地割(じわり)」-5人で魅せる剣の舞-
四季を表す神々(木・火・金・水)に不満を持った「土」の神が乱入し、剣を振るって争う、という演目。

2「前御神先(まえみさき)」「舞上御神先(まいあげみさき)」-鬼と神主の戦い-
結界内に鬼が入り込み、子どもを抱えて大暴れする演目。実は悪鬼ではなく天から降りてきた神だとわかり、和解して大団円を迎えるという一連の物語。

3「盆神楽(ぼんかぐら)」-舞手の腕の見せ所-
神に奉じる2枚の盆に盛られた「洗米」を1粒も落とさないよう舞い上げる。

4「岩戸(いわと)」-おなじみの日本神話-
岩戸に隠れた天照大御神(あまてらすおおみかみ)をどうにか外に出し、世に光を取り戻す、という物語。

〇神楽のこと、もっと知りたい
パンフレットは役場窓口(6)(7)で配布中

※詳しくは本紙P.2~3をご覧ください。

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