10月は、全国の神々が男女の縁結びの相談をしに出雲大社に集まるので、出雲のほかは神がいなくなるために神無月となったといわれています。このほかに、宮中や伊勢神宮でその年の収穫を神に感謝する神嘗祭(かんなめさい)に由来する神嘗月(かんなめづき)が変化したともいわれますが、神嘗祭は元々旧暦の9月17日だったので、どうかと思われます。
二十四節気では、8日が朝晩の気温が下がり草木に露が宿る寒露(かんろ)で、23日は霜が降り始める霜降(そうこう)です。雁など冬の鳥が渡って来て、紅葉が進み、晩秋から初冬へと季節が変わります。
以前は、10月1日から3日までが三春大神宮の秋祭りでしたが、現在はスポーツの日の前の土曜・日曜日で、今年は12日と13日です。江戸時代の大神宮は神明宮と呼ばれ、民間信仰の「オシンメイサマ」と天照大神を祀る伊勢神宮信仰が結びついた秋田家の氏神のような神社で、藩が管理していました。それが、明治時代になると三春地方の鎮守となったため、その祭礼は旧三春町全体の祭りとなりました。12日は神事の後、剣道や空手、神楽舞が奉納され、13日には、各町内を神輿や山車が練り歩き、夕方の神輿還御には集結して行列し、それを長獅子舞が先導します。今年は荒町の長獅子の当番のようです。
このほか、10月は亥(い)の月ともいい、最初の亥の日を亥の子や玄猪(げんちょ)といいました。三春藩士の家では、お祝いに亥の子餅と呼ぶ餅をついて、親戚たちに配りました。重臣の細川家では、1斗の餅米に、小豆・きな粉を1杯、黒砂糖300文分を加えて猪の子のような模様にし、大根と海老の鱠と豆腐の汁を添えて、摩利支天と座敷の床の間、神棚、仏堂に供えました。また、冬に備えて漬物を漬ける時期で、細川家では、大根400~500本をたくわん、150本を浅漬けに、大根の茎を2桶、白川菜を2桶漬けるため、1俵半から2俵の塩を使ったとされます。そして、月が明けると神様が出雲から帰って来るので、月末の朝に赤飯を炊いて神棚に供えて神様を迎えました。
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