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絆 青森県むつ市・会津若松市 姉妹都市締結40周年

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福島県会津若松市

■本市とむつ市のつながり
青森県むつ市は、戊辰戦争後に会津藩が斗南(となみ)藩として移住したゆかりの地です。このゆかりを契機に、昭和59年9月23日、鶴ケ城の築城600年と、むつ市の市制25周年を記念して、むつ市と会津若松市は姉妹都市の締結を宣言しました。

■交流のあゆみと40周年
姉妹都市締結以降、両市は、子どもたちによる教育使節団の相互派遣や物産展などへの相互出展、スポーツによる交流、会津まつりへの参加など、さまざまな形で交流を行っています。
今年、姉妹都市締結40周年を迎えた両市は、苦難を乗り越えた先人たちの精神を再認識し、次の世代に伝えるとともに、両市の発展のために、ともに歩んでいくことを宣言しました。
ここでは、本市とむつ市のゆかりや最近の主な交流を紹介します。

■[歴史コラム]会津藩から斗南藩へ
戊辰戦争に敗れた会津藩は、1869(明治2)年に新政府から再興を許され、現在の青森県むつ市を中心に斗南藩を立藩しました。旧会津藩士とその家族約1万7千人は、会津や謹慎していた各地から新天地を目指しました。当時の人々は、海路や陸路で苦労の末に陸奥の地にたどり着きましたが、その地での生活は、寒さや飢えなどの幾多の苦境の連続でした。こうした逆境の中でも、会津人は開墾や産業の振興、斗南藩校日新館による教育などに取り組みました。
1871(明治4)年の廃藩置県の後は、多くの藩士が斗南から各地に移っていきましたが、一部はこの地に留まり農業などを続け、その一人である広沢安任(ひろさわやすとう)は、広大な民間洋式牧場の設立と経営に成功するなどの功績を残しました。
斗南藩が存在したのは、1年数か月という短い期間でしたが、その期間における原野の開拓や斗南藩校日新館における教育の精神は、後のむつ市の発展に大きな影響を与えました。

■むつ市を紹介します!
むつ市は、本州最北端にある下北半島の中央に位置する、人口約52,000人のまちです。
三方が海に面しており、「陸奥湾ホタテ」や「海峡サーモン」など、海の食材が豊富です。また、日本三大霊山の1つである恐山(おそれざん)があることでも知られています。
下北半島にそびえる標高878mの釜臥山(かまふせやま)の展望台からは市内が一望でき、そこから眺める「光のアゲハチョウ」と称される美しい夜景は、令和6年に世界夜景遺産に認定されました。

■最近の主な交流
▽物産展への相互出展
1_令和5年11月に鶴ケ城体育館で開催された地産地消まつりには、むつ市から特産品のブースが出展し、多くの市民がむつ市のグルメを堪能しました
2_令和5年10月にむつ市で開催された「MUTSU GLAMOROUS FESTIVAL(むつグラマラスフェスティバル)2023」では、むつ市の皆さんに本市の農産物や特産品を楽しんでもらいました

▽学生による交流
3_令和元年11月には、むつ市子ども派遣交流事業としてむつ市の中学生13人が本市を訪れ、湊中学校(当時)の生徒とともにスクール議会に参加しました
4、5_今年9月21日、姉妹都市締結40周年記念講演会を開催しました。講演会では、青森大学の学生2人が会津ゆかりの人物「柴五郎」に関する研究報告を行い、多くの市民が学生の発表に耳を傾けていました

■むつ市にある本市ゆかりの地
▽斗南藩士上陸の地
1870(明治3)年、斗南に向け新潟を出港した藩士たちの到着地には、鶴ケ城の石垣にも使われている慶山石を用いた「斗南藩士上陸の地」の碑が、会津に向かって建っています。碑のまわりには、本市の木「アカマツ」と、むつ市の花「はまなす」が植えられています

▽旧会津藩士の墓
友好調印書の調印式が行われました(9月20日、会津若松ワシントンホテルで)斗南ケ丘で生き残った子孫や斗南會津会などの人々により建てられた碑が、わずかに残る旧会津藩士の墓を見守っています

問合せ:総務課
【電話】39・1211

■[イベント]むつ市の中学生による劇を上演!
下北半島の灯台建設に携わった旧会津藩士を題材にしたオリジナル劇を上演します。また、上演後に一箕中学校剣舞部による白虎隊剣舞の発表もあります。
日時:11月3日(日・祝)午後1時~2時30分
※開場は午後0時30分~
場所:河東学園センター
申し込み方法:電話かファクスで総務課(【FAX】39-1410)に申し込み
※ファクスの場合は代表者名・参加人数・連絡先を明記

問合せ:総務課
【電話】39-1211

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