『鮭川の道標』
原町区桜井町二丁目には高さ約センチメートルの50小さな石碑が立っており、「右車道 鮭川通 左近道 明治四十三年十月」と刻まれています。石碑の下部には「発起人」とありますが、残念ながら発起人の名前はアスファルトの下に埋もれてしまっています。
この石碑は、通行人に目的地の方向や距離などを伝えるために立てられた道標(どうひょう)(道しるべ)です。
鮭川(さけがわ)とは原町区を東流する新田川(にいだがわ)のことであり、東日本大震災以前は、毎年10月から11月にかけて鮭漁が盛んに行われていました。
とりわけ、明治末ころには新田川の鮭漁は一網で千尾が捕れるといわれ、多くの観光客が見物に訪れ、鮭飯(さけめし)をはじめ鮭尽くしの料理を楽しんでいたようです。
つまり、道標の「左近道」とは観光客が鮭漁見物に行くための近道を指していると考えられます。それでは「右車道」とは何でしょうか。
明治42(1909)年10月27日付の福島新聞には、鮭漁の季節になると常磐線原ノ町駅から鮭川まで人力車が走っていたと報じられているので、この人力車が通るための道が車道だと考えられます。そして、車道を進んだ先(原町区高見町二丁目)には「左鮭川道」と刻まれた道標が立ち、鮭川への道を案内しています。
これらの鮭川の道標は、明治末期の観光案内板ということができ、原町を訪れた観光客は、この道標を目印に鮭川に向かったのではないでしょうか。
この小さな道標は、原町地域の名物といえる鮭漁をはじめ、当時の観光や交通など、地域の歴史を私たちに伝えてくれます。
東日本大震災後の中断と再開を経た鮭漁は、ここ数年は遡上(そじょう)する鮭が激減しています。この道標を目印に、再び多くの人びとが鮭川を訪れることを願っています。
問合せ:市博物館
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