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おしえて博物館-六十一-

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福島県南相馬市

『浦尻縄文人、5回の津波災害を乗り越えた?』

小高区の国指定史跡「浦尻貝塚縄文の丘公園」は、いよいよ9月7日(土)にグランドオープンとなります。史跡公園内には縄文文化を身近に感じられるように、復元画の展示など、他の史跡公園にはないさまざまな試みをしていますので、ぜひ訪れてみてください。
さて、この史跡公園では、縄文文化だけではなく、自然環境やその移り変わりを解説する展示も行っています。その一つとして、この地域で津波が何回あったのかを示す土層断面資料があります。
過去に起きた津波は、主に、地中に筒状の穴をあけて堆積している土を取り出す「地中ボーリング」によって得られた資料で調査します。浦尻貝塚周辺の複数地点の調査資料を調べると、黒い土の中に白色の砂が挟まれている土層が複数確認できます。調査では、この土層の詳細な観察や年代測定などの科学分析を行い、これらが津波の証拠であるかどうかを検証しつつ、その発生時期を推測していきます。
この調査から、浦尻貝塚周辺では大規模な津波が、およそ6000年前から11回起きていることが分かりました。
津波の間隔は300年から1000年間あり、平均すると600年に一度は津波が襲来しているようです。
浦尻貝塚は、5700年前から2800年前の間、およそ3000年間続きます。その間に5回の津波がありました。自然を生かした縄文人の暮らしに津波は多大な影響を与えたでしょう。しかしながら、縄文人は、津波があった後も、ここで引き続きムラを構えました。また、縄文時代の後も津波は繰り返し起こりましたが、この地域で人の暮らしは継続し、現代までつながっています。
浦尻貝塚で展示する2m60cmの土層断面資料は、このような複数回の津波を乗り越えてきた本地域の歴史を物語るものです。6000年の歴史を刻む土層を前にすると、災害を経験した現代の私たちに向けたメッセージを見つけることができるかもしれません。

問合せ:市博物館
【電話】23-6421

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