市内に遺跡や埋蔵文化財がいくつもあることを知っていますか。例えば、古屋敷遺跡(塩川町)、会津新宮城跡(慶徳町)、灰塚山古墳(慶徳町)などがあります。令和になって本格的な調査が始まった、塩川町にある『藤権現遺跡』。調査を進めていくと、そこには重要な発見がありました。
■藤権現遺跡
約4000年前に造られた縄文時代後期の遺跡で、塩川町中屋沢字田中に所在しています。東側には雄国山が位置し、西側の山麗の緩い斜面上に遺跡が作られています。
遺跡周辺は、昭和の頃からたくさんの土器や石器が見つかることが塩川町史に記されています。
■発見!縄文時代の証
今年度まで実施してきた約1万平方メートルの調査のうち、約3000平方メートルで土器埋設遺構、石棺墓などのお墓とみられる遺構が合計で150基も見つかりました。
遺構の周囲からは、たくさんの土偶や腕輪の欠片、土製品、石棒など葬祭儀礼に使われていた祭祀遺物(人の手で作られたもの)と呼ばれるものが見つかっています。土偶は、顔や胴体・腕・脚部などバラバラで見つかることが多く、約80点が出土しています。
腕輪や耳型土製品、動物型土製品と呼ばれる特殊な遺物も見つかっています。腕輪は貝を真似して作られており、30点ほどの破片が見つかっています。動物型土製品は目が左右に配置され、くちばし状の口をしていることから、鳥を模したものだと考えられています。耳型土製品が発見された事例は全国で5例目であり、右耳の土製品は全国初の珍しいものです。
■遺跡をより身近なものに
これまで東北学院大学との共同調査や、駒形小学校の発掘体験、駒形・塩川公民館の文化祭への参加など、外部と連携した事業に取り組んできました。
駒形小学校6年生の皆さんとの発掘体験は、地元の遺跡を身近に感じることができる良い機会なので、今後も継続して行う予定です。また、本庁舎1階展示スペースでは、出土した遺物の一部を展示しています。
藤権現遺跡は成り立ちや遺跡の内容が難しいことから、専門家の指導を受け、効果的な調査成果が得られるように努めています。
■未来へ保存(つなぐ)
多くのお墓や土偶、腕輪、特殊な土製品は、市内ではこれまで見つかっていなかった大変貴重なものです。
遺跡から見つかった土器・土偶などのおまじないの道具は、会津地域だけではなく、中通り・浜通り・日本海側・関東地方・東北地方など各地の特徴が見られます。このことから、会津地域が縄文時代から他の地域との交流が活発であったことを示しています。多くのお墓が作られたということは、藤権現遺跡が会津地域だけではなく、縄文時代の各地の人々にとって、重要で神聖な場所であったことが分かります。
藤権現遺跡は、お墓に土器や土偶などを伴う大規模な墓域であり、各地との交流もうかがえる貴重な遺跡であることから、市ではさらに詳しく調べて保存し、皆さんに見ていただけるよう、取り組みを進めていきます。
▽用語解説
・遺構…昔の住居やお墓などの構造物。
・土器埋設遺構…土器に骨を入れて埋葬した遺構。
・石棺墓…地面に掘った穴に石で作った囲いとともに、石棒や土器が配置されているお墓。
・土偶…縄文時代に粘土で作られた人形。女性を表現したといわれ、おまじないなどの道具として使用されていた。
・石棒…石を柱状に磨いたもの。
▽Interview 文化課 文化財保護班 青木誠
藤権現遺跡は、これまでの調査で大規模な墓域であることが分かりました。今後は、史跡公園として整備し、発掘体験や火おこしなどの体験を通じた学びの場にしていくことを予定しています。また、市内の他の史跡とともに「史跡巡り」を皆さんに提供するのも面白いですね。
遺跡から望む会津盆地や雄国沼の景観は、縄文時代と変わらないものです。この景観を大切にしながら、将来に残していけるよう調査を進めていきます。
問合せ:文化課 文化財保護班
【電話】24-5323
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