昭和村文化財保護審議会委員長
菅家 博昭(大岐)
◆織りの本場・沖縄の状況
2023年5月、新型感染症が5類に移行し、国内外をほぼ自由に移動できるようになった。私は、11月23日から1週間、沖縄の織物に関する人たちを訪ね歩いた。
2018年2月14日、沖縄県国頭郡宜野座(ぎのざ)村立博物館の企画展を見た。同村漢那の鈴木芭蕉布工房(鈴木隆太氏)のパネル、作品が展示されており、本人にもお会いした。
鈴木氏は1974年那覇生まれ、沖縄県立芸術大学工芸学部織コース卒、大宜味村喜如嘉(平良敏子氏)にて芭蕉布を勉強、沖縄県伝統工芸検査員(芭蕉布)を経験し、2004年8月宜野座村にて「鈴木芭蕉布工房」始める。平良氏は2022年に101歳で逝去された。
再び沖縄の鈴木芭蕉布工房を訪ねた。気温は27℃。晴れ。紫外線強い。午前10~12時、バサー(芭蕉)のワークショップ(体験会)に参加した。
工房のある敷地内で育成しているバショウも見ることができ、生育途中で幹の頂部を刈り取る(摘芯・ピンチング)、その後の収穫の方法、そして外部から芯部までの繊維の質により利用する繊維が異なることなどを聴いた。ウービキのしかた、チングダケでエイビの作り方など、製繊のための道具類の作り方も教わった。
その後、繊維を裂いて、ハタ結びする体験をした。質問は随時して、撮影も自由である。なぜこのような体験会をはじめたかをうかがった。ちょうど2022年の夏から体験会を行うようになったという。有料で、開催日はインスタグラム(インターネット)で告知して数名単位で行っている。
久しぶりの沖縄であったので、沖縄市(コザ)に平隆司さん(昭和24年生)の自宅も訪問した。沖縄県花卉市場の社長を長く務められ現在は引退されている。昭和村の現況をお話ししたりして、現社長の兼島学さんにも浦添の市場でお会いした。
兼島さんは油絵を描いており、仲間に紅型(びんがた、染め)の先生がいるので紹介する、ということで半日、その工房を訪問した。
首里城に近い工房で和装の金城昌太郎さん(昭和14年生)の話を兼島さんと聞いた。無形文化財びん型保持者は沖縄で7名でそのうちの一人が昌太郎さん。
この大戦で兄弟父親等を亡くし、母と2人だった昌太郎さんは中学3年生のとき(昭和30年ころ)、先生が「戦争で多くの島民が亡くなった。生き残った者が復興を担う。誰か一生の仕事として沖縄の伝統工芸(びん型、織物、漆、陶器)をやらないか?」という問いかけに、ただひとり手を挙げたのが昌太郎少年であった、という。
それから弟子入りして仕事を覚え、28歳で独立して現在に至っているが、こだわったのは伝統といっても野山の植物をスケッチしながら学び、新しいびん型の創造をされ、近くの芸術大学でも講義をして若い学生と多く交わってきた。
「伝統の工芸に携わるというのは生活はとても苦しい。いろいろなアルバイトをやって生活は維持してきた。世の中の役に立って、作っていくうちに上手になっていった。伝統の工芸仕事というのは、みんなに心の平和を育むことにつながる」「現在は、余業で生計を立てて、自分の好きな伝統工芸を続けるという時代であろう」と語られた。
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