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地域の宝

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福島県柳津町

■柳津人のルーツを追う
柳津の歴史、柳津人の祖先の歴史はどこまでさかのぼることができるのでしょうか?
柳津町内には計十二箇所の縄文時代の遺跡が分布していますが、昭和六十二年と平成七年に行われた石生地区近くの「石生前遺跡」の発掘調査が、その答えを出してくれました。
遺跡は今から約五千年前のムラで、考古学という学問では、縄文時代中期の中頃と呼ぶ時期にあたります。遅くとも約五千年前に柳津には人が集落を営みながら住んでいたことは間違いありません。
石生前遺跡の発掘調査では竪穴住居跡が少なくとも四十四軒以上、多くの貯蔵用の土坑(穴)、そして約七百箱分(七トン)という膨大な量の土器や土偶、新潟県産のヒスイを含む石製品や石器も多数見つかりました。土器の中には会津と新潟・北陸・東関東などと交流していたことを示す資料が数多く含まれており、石生前遺跡は只見川流域最大級の拠点的なムラであったことがわかりました。そして平成六年には遺跡の価値が認められ、出土遺物は福島県指定重要文化財となりました。

■縄文の宝庫のまち
一昨年六月から石生前遺跡から出土した遺物の再整理を行ってきましたが、今まで報告されていない縄文人の指の痕を残す土器や人面を表した把手など新発見が相次ぎました。八月には細越地区にある「池ノ尻遺跡」から、向かい合う一対の土偶が付いた「人体像把手付土器」が発見され、マスコミでも報道されたことから全国的に大きな話題となりました。そして昨年七月から十一月までに開催された「奥会津の縄文展」には遠く九州・四国を含め全国各地から約三千人の方々が「やないづ縄文館」を訪れ、柳津の縄文文化に感銘を受けていました。
さらに昨年十二月には文化庁の考古資料部門の調査官が石生前遺跡の遺物と現地を視察し、遺物は国の重要文化財に値する、との極めて高い評価を受けています。昨年からの整理作業で石生前遺跡の価値の「見える化」が成功し、また多くの新発見資料の登場によって、柳津町は改めて「縄文の宝庫」と呼べる地域となったのです。今後整理作業を継続し、さらなる価値の底上げとPRを行っていく必要があります。
今後も町の宝である「縄文」が町の未来に向けて活用を進めるためには、町民の皆さんのご理解や関心の高まりが必要です。やないづ縄文館で整理作業は続いています。気軽に見学においでください。

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〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

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