■経済県都
郡山には、いつの時代も先人のフロンティアスピリッツを受け継ぐ人々が集い、県内の経済界をリードしてきました。
◇「未来を見据えて」経済県都への軌跡
安積疏水が養蚕(ようさん)、農業だけでなく、郡山に電力をもたらしたことで製糸・紡績の工場が次々と進出しました。商工業の発展と交通・運輸の整備が進み、全国から人々が集まり、街はにぎわいました。
他方で、無計画に家や道が作られると、将来の都市基盤の障害になると案じた郡山の地主たちは、組合を作り区画整理に着手します。そうした都市構想が練られている中で、1924年に全国で99番目の市として郡山市が誕生しました。
昭和に入り、太平洋戦争時には、大空襲で工場や駅周辺の市街地は大きな被害を受けました。しかし、官民一体となった懸命な戦災復興を経て、1964年には、国から新産業都市に指定されるまでに発展。その翌年には、安積管内の10町村と田村郡内の2村が合併して県下一の大都市となり、郡山市に人と技術が結集していきました。
郡山は、恵みの大地と命の水、そして未来を見据えて時代を切り拓いてきた人々の努力があって、「経済県都」と呼ばれるまでの中核都市へと発展したのです。
◇知の結節点として発展し続けるまち
人口や民間事業所数など、さまざまな統計で県内一を誇る郡山には、人・モノ・情報が集まります。企業だけでなく研究機関も進出し、イノベーションを生む研究都市へと進化しています。
また、加速する人口減少や超高齢化社会など、直面している社会課題を解決しようと、起業家同士の交流や連携も数多く生まれています。一人ひとりのアイデアとまちへの思いが集まり、お互いを高め合いながら、新たな取り組みが広がっています。
これからも郡山市は、人々の英知が結晶のように集まる知の結節点として、発展し続けていきます。
○郡山絹糸紡績会社(1898年)
当時の日本では、まだ数が少ない電力を利用した先進的な絹糸紡績会社。沼上発電所の電力を利用し、電力供給事業も併せて行っていた。
○初代の郡山市役所(1924年)
町役場の看板を郡山市役所に変更したが建物は同じ。市の人口は39,003人、市の職員は40数名。この年、伸び行く郡山を象徴する公会堂が建築された。
○戦災復興により生まれ変わった郡山駅前広場(1970年頃)
中央には復興のシンボルである平和の女神像が建てられ、バスやハイヤーを利用する人でにぎわっていた。
○福島再生可能エネルギー研究所
震災後の2014年に産総研の新たな研究開発拠点として郡山西部第二工業団地内に開所。再生可能エネルギーに関する国内唯一の国立研究機関。
○郡山テックミートアップ事業
ものづくりの技術を持つ企業と他業種の企業とのマッチングにより、新たな事業連携や新商品の開発などが生まれている。
○こおりやまDXプラットフォーム
ITやデジタル技術を活用したアイデアで、これからの郡山の未来をつくるため、DXの事例や成果のプレゼンをしたり、異業種とのネットワークや販路拡大につながる交流が行われている。
〔写真は本紙をご覧ください〕
■進化する連携と新たな挑戦
新たな産業や人材を柔軟に受け入れるまちの風土が、社会課題に取り組む産学官の連携や起業家による新たな挑戦を数多く生みだしています。
郡山発の人や技術、製品などが、世界に向けて大きく羽ばたいていきます。
・企業や大学と連携し、地域資源を生かした新事業を創出するプロジェクトが発足しています。
・市内の中小企業などが、社会課題の解決やイノベーションの創出につながる優れた新製品の開発に取り組んでいます。
・ドイツエッセン市と交流・連携を強化し、こおりやま広域圏内の事業者の商品や技術の海外展開が進んでいます。
■〔Interview〕
郡山の未来を担う起業家を応援したい/(一社)グロウイングクラウド代表理事 三部 香奈さん
◇多様なチャレンジを全力応援
コワーキングスペース「co-ba koriyama」を拠点に、一人ひとりの気付きや学び、連携や共創などが生まれる場づくりに取り組んでいます。起業だけでなく、新しいことに一歩踏み出すときに相談に乗ったり、人と人をつなげたり、一緒に考えたり、多様な挑戦を全力で応援しています。
◇だれもが自分らしく活躍できる郡山に
環境やライフステージの変化に合わせて、だれもが自分らしく活躍できる場の選択肢がもっと増えるといいなと思います。そのために地域の多様なプレーヤーたちが共創できる場として、「人財共育」プラットフォームをつくり、多方面で活躍する人が増えるまちを目指したいですね。
<この記事についてアンケートにご協力ください。>