■歴史好き市長のつぶやき〈第94回〉
横手市長 髙橋大
9月30日、津軽藩主の津軽氏ゆかりの青森県弘前市・黒石市・鰺ヶ沢町、岩手県久慈市の首長が横手市に集まり、3回目となる『歴史文化で結ぶ都市間交流宣言』を行いました。当市にかつてあった金沢城の城主である金沢右京亮家光(かねざわうきょうのすけいえみつ)は、津軽藩始祖とされる大浦光信(おおうらみつのぶ)の祖父にあたります。
室町時代、現在の青森県・岩手県北部を地盤とする南部氏が横手盆地に進出してきました。都との連絡路上に存在する当市域を重視した南部氏当主は、自らの子で下久慈(しもくじ)城主であった家光を金沢城主としました。
その後、平鹿・雄勝一帯で勢力を拡大してきた小野寺氏との戦いに敗れ、家光は自害します。1468年、当時3歳であった家光の子家信(いえのぶ)は大曲和泉守(いずみのかみ)の助けで南部に逃れ下久慈に戻り、南部氏は横手盆地の支配を諦めました。
家信の子の光信は鰺ヶ沢・種里城(たねさとじょう)へ赴き、光信から4代後の大浦為信(ためのぶ)(津軽為信)が南部氏から独立し、弘前の堀越城(ほりこしじょう)を拠点に津軽統一を成し遂げます。弘前藩2代目藩主信枚(のぶひら)が弘前城へ拠点を移し、弘前藩誕生へと続き、1656年には分家として黒石津軽家が誕生しました。
津軽氏が参勤交代で羽州街道の金沢を通った際は、ご先祖の命からがらの脱出劇を思い感慨にふけったことでしょう。
500年以上にわたる歴史が紡いだ縁を今後も大事に育て、交流していきます。
▽金沢右京亮家光
出羽国山北(せんぼく)金沢を治めていた三戸南部氏当主の子息。右京亮は官位のこと。
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