今年度の能代市戦没者追悼式・平和祈念式典で発表された東雲中学校3年の関根姫菜さんの「平和への誓い」の作文を掲載します。平和の尊さを次の世代へ伝えていくため、皆さんも平和について考えてみませんか。
■東雲中学校3年 関根(せきね)姫菜(ひいな)さん
昨年、私は、私たちが通っている東雲中学校の近くにあった東雲飛行場について学習しました。東雲飛行場は陸軍飛行士たちの本格的な訓練のために使用されていました。その多くが若い特攻隊員です。東雲飛行場で訓練を重ねた隊員たちは各地の特攻基地に散らばり、戦地へと飛び立っていったそうです。
当時の隊員たちは、金勇の大広間でも寝泊まりしていました。私は授業で金勇を訪れたとき、館長さんに言われるままに、当時の隊員のように寝っ転がって大広間の天井を見上げてみました。そうするうちに胸が熱くなりました。隊員たちは一体どんな気持ちで、何を思いながらこの天井を見上げていたのだろうと思ったからです。
懐かしい家族や愛おしく大切な人のことを思いながら眠ったのでしょうか。訓練を共にし、先に出陣した仲間を思いながら眠ったのでしょうか。もしかしたら、自らの命を投げ出して敵の艦隊に突っ込むその恐怖に怯えて眠れない夜を過ごしていたかもしれません。いずれにしろ、それはとても辛く、苦しい日々だったのではないかと、天井を見上げながら、私はやるせない気持ちでいっぱいになりました。
そんな時、私は祖父の家でたくさんのメッセージが書かれた日本の国旗、日の丸を見つけたのです。それは祖父の父親、つまり曾祖父が戦争に行くことが決まったとき、親戚や友達が書いたものでした。そこには、曾祖父の無事を願い、敵を倒して帰ってくることを願う強い強い思いがたくさん詰まっていました。
曾祖父は、その日の丸をもって出征していきました。どんな気持ちで家族をおいて戦争に行ったのでしょうか。そして、そのメッセージを書いた人たちは、どんな気持ちで見送ったのでしょうか。きっと無事に帰ってくることだけをひたすら願っていたはずです。
しかし、第二次世界大戦では、日本でも、たくさんの人が兵士となり、たくさんの命が亡くなりました。私は初めて戦争を身近に感じました。そして恐ろしく思いました。かけがえのない家族の命が脅かされる戦争は、あってはならないのです。
それなのに、未だに解決しないロシアとウクライナの戦争…。三万人以上の民間人が殺されるというイスラエル・ガザ地区の問題…。ウクライナ人であっても、ロシア人であっても、イスラエル人でもパレスチナ人でも、家族や友人の命は、何にも代えがたいものであるはずなのに、それなのに、なぜ戦争は続くのでしょうか。今から八十年前、たった八十年前、祖父や曾祖父達が体験したあの苦しみを、今もなお、味わっている人たちがいるのです。私には決して他人事には思えません。
私たち中学生には戦争を止めることはできません。けれども、この先、戦争が起きないよう努力することはできるはずです。未来の平和を守るために互いの手を取り合い、助け合える世の中を作るために…。
そのためには、まず他国の戦争を決して人ごとと思わず、世界情勢に関心を持ち、過去に起きた戦争や現在の社会問題について、しっかり学ぶことが必要だと思います。インターネット上で飛び交う様々な情報に踊らされることなく、何が真実なのかを見極めることが大切だと思うのです。
二度と戦争が起きないように、私たちの大切な家族や友達が、そして、世界中の人たちが戦争に巻き込まれないために…。将来を担う私たちは、様々な立場から物事を考える力を付け、自分の意見をもち、根気よく努力することをあきらめてはならないのです。それが、この日本を、この地球の平和を託された私たちの責任だと思うのです。
問合せ:福祉課
【電話】89-2152
能代市では「非核平和都市宣言」をしています。(詳細は本紙参照)
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