きみまち阪公園の歴史について、きみまち阪などのガイドを長年務める大高一彦さんに聞きました。
「きみまち阪公園下を流れる米代川には『一里の渡し』があり羽州街道の通り道でした。増水期には渦が巻き、街道中最大級の難所でした。きみまち阪を通過するには、加護山製錬所に続く畜生(ちくしょう)坂を越える陸路もありましたが、こちらも難儀な道でした」。
東北巡幸する明治天皇一行が安全に通過できるよう、明治13年、地域住民が険しい山道を掘削。新道を完成させました。そして14年9月、天皇一行がこの新道と新橋の琴音橋を通過しました。
「その際、陛下は眼下に広がる絶景に大変感動し、自分が乗ってきたみこしを止めさせ、町並みや米代川の眺めをご覧になったといいます」。
その休息中、皇后様から夏の長旅を気遣う手紙が届いたといわれています。翌年にはこの地を「きみ后(まち)阪」と命名する知らせが宮内庁から届きました。
大正13年には「きみまち阪公園」として開園し、盛大に催事が行われたとされています。
1880(明治13)年:緩やかな山道の新道完成
1881(明治14)年:明治天皇が東北巡幸で訪れる
1882(明治15)年:明治天皇から「きみ后(まち)阪」と賜名される
1924(大正13)年:きみまち阪公園として開園
1964(昭和39)年:秋田県立自然公園に指定
1994(平成6)年:第1回「きみまち恋文全国コンテスト」開催
2013(平成25)年:恋文ギャラリー(休憩所改修)、きみ恋カフェ設置
2014(平成26)年:きみまちの鐘設置
2024(令和6)年:開園百周年
■明治天皇ゆかりの地
昭憲皇太后の歌碑:御巡幸中、この地を訪れた明治天皇のもとへ皇后様の手紙が届いたといわれています。歌碑には、夏の長旅を気遣う皇后様の思いがこもった歌が記されています。
みゆき橋:断崖に沿って作られた木の橋。御巡幸の「御」と「幸」から名前が付けられたそうです。撮影スポットにもおすすめ。
明治天皇御休巖(ごきゅうがん):東北巡幸の際、明治天皇がお休みになったといわれる岩が、みゆき橋の近くに残されています。そばには石碑も立てられています。
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