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古河歴史見聞録

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茨城県古河市

■宮本理三郎・中人・尚子木彫展 ~3代に伝わる木彫の世界~
◇木彫の世界
古い竹の上でじっと前を見つめ、手を差し伸べるとスルスルっと逃げ出してしまいそうなトカゲ。朴(ほお)や睡蓮(すいれん)の葉の上でじっと身構え、手を近づけようものなら、ぴょんと飛び跳ねてどこかへ行ってしまいそうなカエル。これらの作品からは、1本の木から彫り出されたにもかかわらず、近くで見ても本物と見まごうばかりの精巧で卓越した技と、小さな生き物に対する作者の慈しみのまなざしが感じられます。
今回は、父・子・孫と3代にわたり、木彫を中心とした作品を市内で数多く生み出してきた、宮本理三郎・中人(なかひと)・尚子(なおこ)の3人を紹介します。

◇宮本理三郎
宮本理三郎は明治37(1904)年、大分県に生まれ、大正14(1925)年に上京。近代を代表する彫刻家・高村光雲の孫弟子で皇居の大手濠(おおてぼり)緑地内にある和気清麻呂(わけのきよまろ)像の作者として著名な、佐藤朝山(ちょうざん)(清蔵(せいぞう)・玄々(げんげん))に師事しました。朝山の下で腕を磨いた理三郎は、昭和に入って日本美術院展に作品を出品し『赤蛙(あかがえる)』や『百舌(もず)の雛(ひな)』『シャモの雛』などが入選となりました。
戦後は個展を開き、寺院から依頼されて仏像なども制作しました。昭和45(1970)年に古河市中田に移住し、昭和56(1981)年には現在の東山田へ。そこで彫刻の制作を進める傍ら、彫刻のモデルとなるような身近な生き物や草花のスケッチなどを数多く描き、平成10(1998)年7月に永眠しました。

◇宮本中人
理三郎の子・中人は昭和13(1938)年、東京に生まれ、20歳の時に彫刻家で東京藝術大学教授でもあった山本豊市の勧めで父理三郎の内弟子となり、技を磨いていきました。昭和45(1970)年には、日本最大の総合美術展覧会である日展(日本美術展覧会)に『少女』が、翌年には『鳩笛(はとぶえ)』が相次いで入選しています。
また、父と同じように多くの寺院から仏像の制作を依頼され、大きな仁王像なども東山田のアトリエで制作されました。
平成4(1992)年に三和健康ふれあいスポーツセンター(ゴヨーふれあいスポーツセンター)がオープンした時に寄贈された、自身の代表作『鳩笛』は、現在もロビーに飾られています。さらに、平成6(1994)年から3年間、当時の三和町中央公民館で彫刻講座の講師を務めるなど、地域文化の発展にも貢献されました。現在は、日本橋のデパートで個展や親子展を開くなど、精力的に活動を続けています。

◇香川(宮本)尚子
昭和50(1975)年に古河市で生まれた尚子は、國學院大學を卒業後、父中人の内弟子となり、祖父・父と同じように彫刻家の道を歩むことになりました。彼女の作品からは、祖父や父の木彫制作の技が見事に受け継がれつつも、2人とはひと味違った繊細さや愛らしさ、華やぎが感じられます。

◇木彫展を開催
三和資料館では12月25日(水)まで、3代にわたって受け継がれてきた宮本家の作品約80点のほか、制作過程が分かる写真パネルなど、関連資料を展示しています。ぜひ、ご覧ください(文中、敬称略)。

三和資料館学芸員 峯照男

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