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古河歴史見聞録

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茨城県古河市

■やっぱりスゴイ! 万葉古河の歌
~地名データで見る「麻久良我の許我」~
某日・某所にて、友人とちょっとしたゲキロン。
「『古河』って地名、1300年の歴史があるんだぜ。かの万葉集に出てくるんだからな。もしかすると、8世紀初頭に成立したといわれる『日本』より古い名前かもしれない」
「でも、4500首のうちのたった2首だけだろ? それくらいの地名なら他にもたくさんあるんじゃないの。そんなにレアかな?」
そう言われると確かに…。悔しいのでちょっと調べてみました。

◇『万葉集』とは
そもそも『万葉集』ってどんなもの? 『万葉集』は7世紀後半から8世紀後半にかけて編纂(へんさん)され、全20巻4500首余りの和歌を収録した、わが国最古の歌集であることはご存じのとおり。
雄々しく日常の生活感情を詠(うた)い上げた直截(ちょくせつ)的な歌風と、天皇から一介の名もなき庶民まであらゆる階層の詠み手がいて、しかも歌に詠み込まれた土地(歌枕)は日本全国に及ぶという普遍性にその最大の魅力があります。
ちなみに歌枕は、名所として後代の歌人の憧憬(しょうけい)となります。古河もまた、西行法師の歌に再び姿を現しています(『山家集』など)。

◇『万葉集』の地名
さて、肝心の地名について。歌中、題詞、左注に現れる地名数は、重複も含んだ延べ数でおよそ2800余りといわれています。
当時の都があった奈良県や大阪府などの近畿地方と、防人(さきもり)が置かれた福岡県・長崎県が圧倒的に多く、全体のおよそ半数を占めます。
一方で関東地方に目を向けると、1都6県で延べ188例、その中で最多は茨城県の44例といわれています。もっとも、44例のうち半数以上は筑波山を詠んだもので、重複をさけると筑波山、鹿島、常陸国(ひたちのくに)、麻久良我(まくらが)の許我(こが)など10カ所程度しかありません。これは他の都県でも同じで、実際の場所としては数カ所ずつしかないのです。関東地方以外も同様で、地名が詠まれている都道府県は全国各地に及んでいるものの、近畿と北九州を別にすると『万葉集』に出てくる地名は意外と少ないことが分かります。

◇由緒ある地名
古代から地名が明らかということは、人口が集中していたり、交通の要衝であったりと、少なくとも当時から特筆すべき重要な土地であったといえます。

・麻久良我の許我の渡(わたり)の韓楫(からかぢ)の音高(おとたか)しもな寝(ね)なへ児(こ)ゆゑに
(巻14-3555番)

・逢(あ)はずして行(ゆ)かば惜(お)しけむ麻久良我の許我漕(こ)ぐ船(ふね)に君(きみ)も逢(あ)はぬかも
(巻14-3558番)

この2首からは古河が水上交通の要衝として、古代から特筆すべき土地であったということをうかがい知ることができるのです。
現在、文学館ではスポット展示「拓本でたどる万葉歌碑めぐり」を開催中です。「許我の渡」の歌を含め、近隣の万葉歌碑を紹介しています。ぜひ、ご高覧ください。
さて、古河のレア度を示すデータに友人は何を思うか。
思わずほくそ笑んでしまう…。

古河文学館学芸員 秋澤正之

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